2013/12/18

イラク戦争の責任の一端は日本にある?

阿部内閣になってから、日本では「戦後レジームからの脱却」とか「憲法改正・破棄」とかいう声が大きくなってきている。それにちなんで思い出したことがある。アメリカがイラクに攻め込んで、サダム・フセイン政府を蹴散らした後、イラクを民主主義国家として再建するというのを聞いたとき、すぐに思い出したのは、アメリカが敗戦後の日本に対して行ったマッカーサー=GHQ占領政策の表向きの「趣旨」との類似性であった。それは私の単なる思い過ごしによるものではないことは、その比較があちこちから聞こえてきたことからも明らかであった。ブッシュ大統領自身が日本とは特定しなかったものの、次のように明らかにそれとわかる比較をしていた。


ジョン・ダワーは、Occupations and Empires: why Iraq is not Japan で次のように書いている。"the occupation of Japan -- evoked so frequently these days by American policy-makers and pundits desperate for a rosy postwar scenario -- offers little that might be taken as a model for what to expect in Iraq."

ていよく洗脳された当の日本人はこのことの重要性にほとんど気が付いていないのではないだろうか。占領した側のアメリカの大統領が自己欺瞞で日本の占領政策を歪めて理解していたのか、単なる一般国民向けのプロパガンダだったのかは知る由もないが、加害者のアメリカ人はともかく、被害者の日本人までが「自由と民主主義のアメリカ」を信じていることは、おめでたいばかりでなく、世界にとって有害なことであることがイラク戦争によって明らかになったのではないかと思う。

日本では憲法も法体系も議会制民主主義も、1500年を超える天皇制と250年を超える幕藩体制の経験を踏まえて明治時代に周到な準備計画に基づいて制定されたものであって、アメリカによってもたらされたものではないし、アメリカは日本の占領中もその後も見かけの「自由と民主主義」しか実践しなかった。アメリカはその他の占領・植民地ではもっと露骨だった。だいたい、憲法だけあっても法体系とそれを支える人と組織が整っていなければどうにもならない。一夜漬けの「民主的な」手続きで憲法だけ作ってもどうにもならないのは、最近のアラブ諸国の混乱ぶりを見れば明らかである。そのことが日本人だけでなく、アメリカ人、ひいては世界中の人々の常識になっていれば、アメリカのイラク侵略も異なった方法論で行われた、あるいは、単なる侵略破壊行為以外の何物でもないという見方が圧倒的になって、イラクの国民に「歓迎される」というような幻想を持つ者などいなかっただろうし、単なる侵略破壊行為と考える人が多ければ支持もされなかったのではないだろうか。そういう意味で、あのイラク戦争の責任の一端は、いまだに「占領基本法」を「平和憲法」としてありがたがっている、「占領体制」の史実を総括して世界と共有する努力をしてこなかった日本人にあると言えると思うのである。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と納得して「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ」段階はとうの昔に過ぎている。

最近プリンストン大学とノースウエスタン大学の研究者が出した研究論文の結論は、アメリカは1981年から2002年に制定された法律や政策を見る限り、少数独裁政治である、つまり一般大衆の利益を度外視して、お金と組織力のある少数グループの利益になるような法律や政策を作ってきたというのである。しかし、一般のアメリカ人にとって、アメリカの権力者たちは建国以来一貫して見せかけの「自由と民主主義」以上のことをする気もなかったし方法論もノーハウも持ち合わせていないという現実を直視するのは難しいかもしれない。

アメリカ人あるいは白人の自己欺瞞と蒙昧ぶりは、Revisiting America’s Occupation of Japan (Laura Hein, 2011) というレビュー論文 (日本語訳『日本占領を再考する』はこちら)の導入部からも読み取ることができる。

「昨今のイラク、アフガニスタンにおける米軍占領は、日本占領に対する新たな関
心を呼び起こしました。それは、研究者や政策決定者がグローバルな問題を理解するため
のよりよい方法をさがしもとめるようになったからであり、そしてまた、とりわけジョ
ン・ダワーの『敗北を抱きしめて』によって、日本占領という研究分野がすでに活発にな
っていたからでした。多くのアメリカ人が、その政治的立場に関わらず、以前よりもずっ
とアメリカを帝国権力として捉えるようになりました。同時に、研究者もまた、日本帝国
の拡張と、その後の植民地の喪失を、20世紀中頃に他の地域で起きていたことと同等の
ものとして捉えるようになってきました。そういった地域は、決して例外的ではなく「普
通の国家」でした。」(Translated by Asako Masubuchi) 。

多くの非白人から見れば、有史以来、白人が帝国権力を追求しなかった時期があったのかと問いたくなるだけでなく、連中の人種差別に根ざした野蛮な植民地政策と大日本帝国の目指した大東亜共栄圏を同列に並べて論じられてはたまらないと思う日本人も多いと思う。歴史学者がこの程度の認識では、後は押して知るべしである。さらには、アメリカの日本占領政策では、日本国内のさまざまのグループが自分の立場を有利にしようとしてアメリカの権威を利用したなどと言って責任逃れをしだすのだからあきれる。

「しばしば、アメリカ人と日本人は他のアメリカ人と日本人のグループに対抗するために協力しあいました。。。だこらこそ、くじかれた「主体」や植民地的なトラウマといった考え方に特有の、日本人はアメリカの帝国権力によって精神的に傷つき、彼ら自身の目標を見失ったという考え方が間違っていると感じるのです。」

というくだりを読むと、ストックホルム症候群を勉強してから出直してねと言いたくなる。


the occupation of Japan -- evoked so frequently these days by American policy-makers and pundits desperate for a rosy postwar scenario -- offers little that might be taken as a model for what to expect in Iraq. - See more at: http://www.japanfocus.org/-John_W_-Dower/1624#sthash.CaMIxwCq.dpuf
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