2015/04/22

安部首相の「深い反省」を deep remorse と訳したのは誰か

今年は敗戦から70年という節目の年なので、阿部首相は談話を出すと決めたと発表されている。それに対して、日本人に自虐史観から抜け出されては困る連中が何かとおせっかいな進言をしたり、探りを入れたりしている。それに対して、総理は村山談話の精神は継承するが、同じ文言のものを出す気はない、同じでは新しい談話を出す意味がない、というようなことを言ったらしい。ただし、1つだけ談話の文言に触れて、「深い反省」という表現を盛り込むことを明らかにした。その文言を含む最初のスピーチがバンドン会議60周年記念日に行われた。

以前、総理が靖国神社へ参拝した際に出した声明に「痛切な反省」とあり、その英訳に「severe remorse」という誤訳が当てられていたことについては、『これじゃ情報戦に勝てない』で書いた。そのときにも説明したが、「反省」という日本語を英語で表現するときには日本語と英語のニュアンスを理解した上でなければ誤解を招くとんでもない誤訳になりかねない。その説明を一応ここでも繰り返しておく。

日本人が英語を使って生活するようになってすぐに突き当たる問題のひとつに「反省」をどう英語で表現するかという問題がある。反省会とか自己反省とか日常 的に頻繁に使用されるこの日本語に相当する英語がないのである。だから、それぞれの文脈に即して適切な表現を選択しなくてはならない。

辞書を引くと、反省とは「過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること。」 つまり、間違いがあったと想定して振り返るわけで、実際に間違いがあったかどうか、どのような間違いだったかについては調べてみないとわからないというニュアンスがある。間違いがあったとして、それが犯罪だったという想定はまったくない。だから、日本人は喜んで何でも反省する。

英語に訳す場合、反省会=Review meeting、 自己反省=self‐reflection など、過去の過ちを考察して学ぶという意味が主体で、remorseが強調する自分の犯した罪に対する「自責の念」や「良心の呵責」は、文脈が明白に示唆する場合にのみありうる解釈である。重ねて言えば、「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。」という文脈で「痛切な反省」と聞いて、総理が「自分の犯した罪に対する自責の念や良心の呵責にさいなまれている」と受け取る日本人はいないはずである。「いろいろ間違いがあったであろうと想定して、真剣に考察し学んだ。」という風に受け止めるのが普通であろう。なんたって負けた戦だから間違いはたくさんあったに違いない。つまりこの文脈で「痛切な反省」を「severe remorse」と訳すのは国益を害するとんでもない誤訳または曲解である。

第一、総理自身が個人的にあの戦争に責任があるわけではない。さらに、東京裁判で戦争犯罪を犯したとして有罪を言い渡された人々は絞首刑で殺された首相の東条英機を始めみな無罪を主張している。さらに、サンフランシスコ条約で日本が一応主権を回復したとき、あの卑劣な裁判で有罪を言い渡された人々は全員が赦免されている。従って70年後の日本人があの戦争についていったいどのような罪を犯したことについて良心の呵責にさいなまれなければならないというのか。あの戦争に関して良心の呵責にさいなまれるべき国は別にある。それは自分たちの悪行を棚に上げて、日本を悪の権化に仕立て上げ、自分たちの悪行から目をそらせようとしている連中である。もっとも、あの戦争に日本とアメリカを追い込んだのはコミンテルン(国際共産党)の陰謀だったという話もあるから、以来ずっとその活動方針を受け継ぎ、中国やロシア、さらには朝鮮の共産党と協力してきた日本の左翼には良心の呵責にさいなまされる理由があるのかもしれない。

それはともかくとして、「深い反省」を「feelings of deep remorse」と訳した人は、自虐史観とやらに凝り固まっていて、罪の意識と良心の呵責にさいなまされている人に違いない。これが意図的な誤訳なら、総理は二枚舌を使っていることになる。「And Japan, with feelings of deep remorse over the past war, made a pledge to remain a nation always adhering to those very principles throughout, no matter what the circumstances.」という総理のスピーチの英訳の中で使用するとすれば、「with feelings of deep remorse over the past war,」ではなく「after a deep soul-searching over the past war,」 が穏当なところであろう。