2013/12/30

これじゃ情報戦に勝てない

安部首相が靖国神社へ参拝に行ったと聞いて、やれやれと思ったのもつかの間、アメリカが「失望した」と入れなくてもいい茶々を入れたというので、原文のトーンを調べてみようとアメリカ大使館のウェブサイトへ行ってプレスリリースの原文を読んでみた。その最後のほうに「We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past」とあって「expression of remorse」という表現に引っかかった。なにせ、「remorse」と言う表現は犯罪者がこれを示したかどうか、それが情状酌量に値するかといった文脈で聞くことが多いので、首相の声明の中でそのようにとられる表現があったとすれば、どのようなものだったのか気になったので、そちらも調べてみた。

なんと、「expression of remorse」から想像していた間接的な表現ではなく、そのものずばり、しかもご丁寧に最高級の形容詞である「severe」が付いて「Japan must never wage a war again.  This is my conviction based on the severe remorse for the past.」 とある。これでは、アメリカ側が誤解もしくは曲解したと言うわけにいかない。でも村山談話を否定する安部首相が、あの悪名高い東京裁判で有罪を宣告された人々さえ認めていない犯罪を認めるようなこと言うのかなと、今度は日本語の声明文を調べてみた。

対応する日本語の文は「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。」つまり「痛切な反省」を「severe remorse」と訳したわけだ。日本人が英語を使って生活するようになってすぐに突き当たる問題のひとつに「反省」をどう英語で表現するかという問題がある。反省会とか自己反省とか日常的に頻繁に使用されるこの日本語に相当する英語がないのである。だから、それぞれの文脈に即して適切な表現を選択しなくてはならない。反省会=Review meeting、 自己反省=self‐reflection など、過去の過ちから学ぶという意味が主体で、remorseが強調する自分の犯した罪に対する「自責の念」や「良心の呵責」は文脈によってはあるかも知れない程度のものである。つまりこの文脈で「痛切な反省」を「severe remorse」と訳すのは国益を害するとんでもない誤訳または曲解である。

「Japan must never wage a war again. Being evermore mindful of the painful lessons of the past, that is my conviction.」 ぐらいが穏当なところではないかと思う。

総理の声明を誰が英訳しているのかは知らないが、このような英訳を出しているようでは、初めから情報戦に負けている。

2013/12/18

イラク戦争の責任の一端は日本にある?

阿部内閣になってから、日本では「戦後レジームからの脱却」とか「憲法改正・破棄」とかいう声が大きくなってきている。それにちなんで思い出したことがある。アメリカがイラクに攻め込んで、サダム・フセイン政府を蹴散らした後、イラクを民主主義国家として再建するというのを聞いたとき、すぐに思い出したのは、アメリカが敗戦後の日本に対して行ったマッカーサー=GHQ占領政策の表向きの「趣旨」との類似性であった。それは私の単なる思い過ごしによるものではないことは、その比較があちこちから聞こえてきたことからも明らかであった。ブッシュ大統領自身が日本とは特定しなかったものの、次のように明らかにそれとわかる比較をしていた。


ジョン・ダワーは、Occupations and Empires: why Iraq is not Japan で次のように書いている。"the occupation of Japan -- evoked so frequently these days by American policy-makers and pundits desperate for a rosy postwar scenario -- offers little that might be taken as a model for what to expect in Iraq."

ていよく洗脳された当の日本人はこのことの重要性にほとんど気が付いていないのではないだろうか。占領した側のアメリカの大統領が自己欺瞞で日本の占領政策を歪めて理解していたのか、単なる一般国民向けのプロパガンダだったのかは知る由もないが、加害者のアメリカ人はともかく、被害者の日本人までが「自由と民主主義のアメリカ」を信じていることは、おめでたいばかりでなく、世界にとって有害なことであることがイラク戦争によって明らかになったのではないかと思う。

日本では憲法も法体系も議会制民主主義も、1500年を超える天皇制と250年を超える幕藩体制の経験を踏まえて明治時代に周到な準備計画に基づいて制定されたものであって、アメリカによってもたらされたものではないし、アメリカは日本の占領中もその後も見かけの「自由と民主主義」しか実践しなかった。アメリカはその他の占領・植民地ではもっと露骨だった。だいたい、憲法だけあっても法体系とそれを支える人と組織が整っていなければどうにもならない。一夜漬けの「民主的な」手続きで憲法だけ作ってもどうにもならないのは、最近のアラブ諸国の混乱ぶりを見れば明らかである。そのことが日本人だけでなく、アメリカ人、ひいては世界中の人々の常識になっていれば、アメリカのイラク侵略も異なった方法論で行われた、あるいは、単なる侵略破壊行為以外の何物でもないという見方が圧倒的になって、イラクの国民に「歓迎される」というような幻想を持つ者などいなかっただろうし、単なる侵略破壊行為と考える人が多ければ支持もされなかったのではないだろうか。そういう意味で、あのイラク戦争の責任の一端は、いまだに「占領基本法」を「平和憲法」としてありがたがっている、「占領体制」の史実を総括して世界と共有する努力をしてこなかった日本人にあると言えると思うのである。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と納得して「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ」段階はとうの昔に過ぎている。

最近プリンストン大学とノースウエスタン大学の研究者が出した研究論文の結論は、アメリカは1981年から2002年に制定された法律や政策を見る限り、少数独裁政治である、つまり一般大衆の利益を度外視して、お金と組織力のある少数グループの利益になるような法律や政策を作ってきたというのである。しかし、一般のアメリカ人にとって、アメリカの権力者たちは建国以来一貫して見せかけの「自由と民主主義」以上のことをする気もなかったし方法論もノーハウも持ち合わせていないという現実を直視するのは難しいかもしれない。

アメリカ人あるいは白人の自己欺瞞と蒙昧ぶりは、Revisiting America’s Occupation of Japan (Laura Hein, 2011) というレビュー論文 (日本語訳『日本占領を再考する』はこちら)の導入部からも読み取ることができる。

「昨今のイラク、アフガニスタンにおける米軍占領は、日本占領に対する新たな関
心を呼び起こしました。それは、研究者や政策決定者がグローバルな問題を理解するため
のよりよい方法をさがしもとめるようになったからであり、そしてまた、とりわけジョ
ン・ダワーの『敗北を抱きしめて』によって、日本占領という研究分野がすでに活発にな
っていたからでした。多くのアメリカ人が、その政治的立場に関わらず、以前よりもずっ
とアメリカを帝国権力として捉えるようになりました。同時に、研究者もまた、日本帝国
の拡張と、その後の植民地の喪失を、20世紀中頃に他の地域で起きていたことと同等の
ものとして捉えるようになってきました。そういった地域は、決して例外的ではなく「普
通の国家」でした。」(Translated by Asako Masubuchi) 。

多くの非白人から見れば、有史以来、白人が帝国権力を追求しなかった時期があったのかと問いたくなるだけでなく、連中の人種差別に根ざした野蛮な植民地政策と大日本帝国の目指した大東亜共栄圏を同列に並べて論じられてはたまらないと思う日本人も多いと思う。歴史学者がこの程度の認識では、後は押して知るべしである。さらには、アメリカの日本占領政策では、日本国内のさまざまのグループが自分の立場を有利にしようとしてアメリカの権威を利用したなどと言って責任逃れをしだすのだからあきれる。

「しばしば、アメリカ人と日本人は他のアメリカ人と日本人のグループに対抗するために協力しあいました。。。だこらこそ、くじかれた「主体」や植民地的なトラウマといった考え方に特有の、日本人はアメリカの帝国権力によって精神的に傷つき、彼ら自身の目標を見失ったという考え方が間違っていると感じるのです。」

というくだりを読むと、ストックホルム症候群を勉強してから出直してねと言いたくなる。


the occupation of Japan -- evoked so frequently these days by American policy-makers and pundits desperate for a rosy postwar scenario -- offers little that might be taken as a model for what to expect in Iraq. - See more at: http://www.japanfocus.org/-John_W_-Dower/1624#sthash.CaMIxwCq.dpuf
the occupation of Japan -- evoked so frequently these days by American policy-makers and pundits desperate for a rosy postwar scenario -- offers little that might be taken as a model for what to expect in Iraq. - See more at: http://www.japanfocus.org/-John_W_-Dower/1624#sthash.CaMIxwCq.dpuf
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2013/06/04

Y DNA と ミトコンドリアル DNA から見た男女の歴史の違い

上田悦子 著

起源説というのは世界中のどの文化的伝統にも見られる人類共通の神話的テーマの一つである。どうやら、人間には自分たちがどこから来てどこへ向かっているのかを知りたいという本能的な欲求があるらしい。祖先探しや考古学の人気もその証拠といえるかも知れない。私が人類の歴史をどこまでさかのぼって知ることが できるのかという興味で初めて積極的に調べてみたのは中学生のとき(1960年代の始め)だった。学校の図書室で世界史関係の本をあれこれ開いてその種の情報を探してみたのを覚えている。でも大したことは分からなかった。石器時代、銅/青 銅器時代、鉄器時代という進化があったこと(そんなことは前から知っていた)、そして進んだ武器や道具を持ったグループが持っていない地域の住民を侵略す るということが地中海周辺で繰り返された跡があること。中にヒッタイトというグループがいて、鉄器とチャリオットという戦闘用の馬車の技術を使って勢力を拡大したこと。ヒッタイトがどこから来たかは「北から来たアーリア人」というだけではっきりしないらしい、というぐらいのことしか分からなかった。

それで、全世界で DNA プロジェクトが進行中で数年中にまとまった結果が報告されるという話をネットで見つけたときは興味をそそられた。Y染色体DNAは父から息子に、ミトコンドリア(mt) DNAは母から娘と息子にそのまま、つまりほかのDNAのように母方と父方のDNAが ごちゃ混ぜにならずに遺伝される。代々伝わってきた中で発生した無機能な部分の突然変異のパターンを比べると遺伝子的な距離といつ頃枝分かれしたかが推定 できるということで、特異的な変異に基づく分類と系統図が作成されている。もっとも、いまだに命名などの修正が多く、素人がその辺のいきさつを知らずに文 献を読むと混乱する。2012年現在では世界各地からのデータに基づく研究報告がかなり蓄積して来ている。インターネットやテレビ番組などでもあれこれ報告されている。その中で最も大きな発見は、女性と男性の移動と定着のパターンに大きな違いがあったということではないかと思う。

これまでに公開された世界各地からのデータの比較、ヨーロッパ、アフリカ、インド、シナ、日本のデータのまとめを見ると、Y DNAは新しく侵入してきたグループがその地域の多数を占めるというパターンになっている。つまり以前その地域にいた男たち、つまり被占領民のY DNAが少数派になっているのである。具体的には、程度の差はあるけれども、ヨーロッパでは旧石器時代の狩猟採集民族が農耕と小動物の家畜化で優位に立った新石器時代の民族のY DNAによって駆逐され、さらにそのグループは遺伝子的には大差ない場合も多いけれども、青銅器時代に牛の牧畜、馬、馬車、および金属の武器と道具で優位に立った民族によって支配されるようになったということらしい。駆逐されたグループのY DNAの多くは経済的に不利な山奥や離島、寒冷地などの僻地に集中しているというのも共通に見られる現象である。もっとも、寒冷な北欧に押しやられていたバイキングが、気候が温暖になったときに勢力を盛り返して、ロシアも含めて西ヨーロッパとイギリスを席巻したという巻き返しもある。一方、女性のmtDNA は最初は狩猟採集民族と農耕民族が混合せずに住み分けしていたように見え、一方が他方を駆逐するという現象が起きていない。その後も、一番新しい牛の牧畜、馬、馬車、および金属で優位に立った民族のものがそれ以前の狩猟採集および農耕民族のmtDNA に対して圧倒的な多数を示していない。女性の場合は、政治経済的に優位に立ったとしても、女子供を含めたジェノサイドでもやらない限り、遺伝子的に圧倒するということは、生理的に難しいということもある。
これを実際 の人間の歴史という観点から見ると、格別新しい発見でもなんでもない。男を皆殺しにして、女を奴隷として連れて行ったという話しや、町ごと焼き討ちして全滅させたという古代の記録が手柄話として残っているだけでなく、世界のあちこちで、つい最近まであるいは今日でも大規模の移住や侵略によって現地の元の住民が実質的に絶滅した、または辺境に追いやられた例はそれほど遠い記憶ではない。南北のアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカは言うに及ばす、中国とそ の周辺を取り囲む諸民族間の興亡、黒海周辺からエジプトまでのバルカン半島、東地中海と中近東一帯の何千年にも渡る侵略と征服の繰り返しはまだ続いている。

小規模の侵略で、支配者層が入れ替わった例もたくさんある。これは王朝の入れ替わりという形で記録されている場合が多い。エジプト王朝はツータンカーメン(1332 BC – 1323 BC) 以前から既に北から来た白人種族であった。その後も何度か王朝が入れ替わっていて、クレオパトラで終わった最後の王朝はギリシャのアレクサンダー大王のエジプト征服(332 B.C.)で 築かれたものである。インドもイギリスが海からやってきて植民地化するまでは似たような王朝の入れ替わりが北西から来たアーリア族やイスラム帝国、モンゴル帝国などによ る侵略によって繰り返されてきた。そのイギリス自体も、ケルト人、ローマ帝国、アングロ・サクソン、バイキング、ノルマン人などの侵略によって次々に民族構成と王朝が替わっている。シナでもモンゴルなどの北方の周辺民族が繰り返し侵略して王朝が変わり、北方系の Y DNA が南部に浸透して民族の構成も変わっている。現在の王朝である共産党が権力を握ったのは極最近、第二次大戦以後の1949年であり、それ以前の歴史の大部分は戦闘力で勝っていた北方騎馬民族が支配する植民地であった。その最後は1912年の中華民国の設立で終焉した、満州族が建てた清王朝だった。今でもシナは共産党というグループの植民地と見ることもできる。
日本は例外で、外からの侵略による王朝/民族の入れ替わりは有史以前(6世紀まで)に終わっていたらしく、現在の皇室は1500年以上続いてきた世界一古い長命の王朝である。支配者層と一般大衆の人種民族的背景の違いがはっきり分かれているイギリスとは異なり、日本ではそのような違いが仮にあったとしても、それをたどることは簡単ではないが、歴史のある時点で民族構成を変えるほどの規模の侵略や移民があったことは、Y DNAの研究から見ることができる九州南端で日本の西半分が火山灰に埋もれるほどの大きな火山の爆発が数回あったことがわかっているから、そのたびに、氷河期や縄文期の先住民が西日本南日本で全滅し、そのに大陸や南方から別の民族が来て住み着いた可能性も高い。下のグラフに示されているように、古いD系統の民族の頻度が九州で低く、新しく来たO-M122系統の頻度が九州で高くなっていることとも矛盾しない。


図1.日本のY DNA の分布: Dが古い狩猟漁労採集民から受け継いだY DNA、O が水田を広げ、弥生時代以降に勢力を拡大していった民族のY DNAと考えられている。



小規模でも 大規模でも侵略が暴力による制圧征服であるという基本的な性質は変わっていない(氷河や旱魃、津波などの天災で無人化した地帯に入植した場合を例外とし て)。奴隷経済や植民地化、さらには近年の金融支配による搾取も武装した侵略者や軍事力の裏づけなしでは維持できない。これを人間レベルで見ると、侵略に抵抗した男たちは殺され、女たちは好むと好まざるとに関わらず奴隷化され侵略者の子供を生まされる。殺されなかった男たちは奴隷化されたり下層階級として 経済的に不利な立場に追いやられ、子孫を残す機会は制限される。  

征服者(大多数が男)にとって、征服した女も生ませた子供も自分の所有物であり、子供は奴隷や認知されない私生児として扱われる場合も多く、自分と同じ出身の女との間に生まれた純血の子供たちより社会的な地位は低い。こうして階級制度が生まれる。

北米では原住民(インディアン)を奴隷化できなかったために、奴隷をアフリカから連れて来たわけだけど、原住民を娶った例は沢山あり、混血の子供たちは純血の白人の 子供たちと同じ社会的地位を与えられることはなかった(原住民にアメリカの市民権を与えると「戦争」という名目で大量殺戮と土地の収奪を合法的に行うこと ができなくなるので、アメリカ政府は彼らに市民権を与えることはしなかった。現在でもインディアン特別保留地は外国扱いで、アメリカの法律は完全には適用されない)。黒人と白人の関係を見ると階級制度は一層明確で、少しでも黒人の血が混じっていると黒人として扱われる(アメリカでは50%白 人の大統領が黒人と呼ばれるが、中南米へ行くと白人の血が少しでも混じっていれば白人として扱われるところもある)。一方、白人が奴隷の黒人女に子供を産 ませることは当たり前のこととして行われ、生まれた子供は黒人奴隷として扱われ、父親が誰か知らされなかった場合も多い。今日のアメリカの黒人と呼ばれる人々を見ると、最近アフリカから来た人々を除いて、白人の血が混じっていない黒人は皆無と言っていい(Faces of America with Henry Louis Gates, Jr. 参照)。

男たちは自分の血肉を分けた子供を奴隷や私生児として扱うことを何とも思わなかったのである。正式の結婚という形を取っても、男は妻や子供たちに対して絶対的な権限を与えられ、自分の所有物のごとく扱ったこと、娘たちは息子たちと同じ権利を与えられなかったことは多くの社会で見られた歴史的な事実であり、その背景に ある侵略の歴史を考えれば容易に理解できる現象である。階級に関係なく女に資産の所有権相続権がなかった場合も多い。今日でもその伝統が生きているところ はイスラム教社会を始めとして世界中に沢山残っている。そいう社会の男たちが自分の母親に対してどういう感情を抱くのか、女の私には想像もできないけど、 父方の名前を名乗るということは、母方の血筋は重視されなかったということであり、父親の社会的地位を受け継ぐには、母親が低い階級の出身である場合は特に、母方の血筋を無視する必要があったことは想像に難くない。もっとも、王位の継承を見ると男女の差より血筋が重要であることは明らかで、男の後継者がい ない場合は、女が王位を継承することも珍しくない。エジプト王朝のように支配者の層が薄かったところでは、血筋の純粋さを維持するために兄弟姉妹間の結婚 さえ行われたのは有名である。

民主主義が採用された後の西洋近代社会でも、庶民階級(被支配階級)の男たちが選挙権を勝ち取ったのは後のこと。西洋の民主主義社会で支配階級の女も含めて女が投票権と資産の所有権を勝ち取ったのはそれよりさらに後の第一次世界大戦から第二次大戦にかけての頃(20世紀前半)で、男女同権も人権もきわめて新しい概念である。今日でも、世界には女が男の所有物として扱われるところが沢山残っているだけでなく、男女同権を達成したように見える社会でも、昔どおりに女を自分の支配下に置き、女性の生殖機能も自分の支配下に置きたいと思っている男たちが沢山いることも見逃せない事実であるが、侵略と征服の歴史における男女の違いを見れば男の特権意識の由来は明らかであ る。

サイエンス・フィクションというと未来を想像して描くものというのが建前であるが、侵略、略奪、殺戮を繰り返してきた人類の歴史を単純に反映したものが多い。アメリカで人気のある映画やテレビ・ドラマにもSopranosなどのマフィア物や Game of Throne など男権社会の生の力が支配する権力闘争を描いたものが少なくない。現代の進んだ文明社会も一皮むけば、生の力が支配する男中心の社会であることを皆知っているということなのかも知れない。それともそれは男たちのノスタルジアなのだろうか。

ここで考えてみたいことの一つは、男たちが築いてきた武力に基づく支配体制が、鎧兜に身を固めた馬上の騎士のように過去のものになるのか、ということである。その方向は既に、女性が戦争の終焉と社会の再建設の鍵を握ると考えている Swanee Hunt の活動に示されている。


 

参考文献

遺伝子の研究



日本人の起源


アメリカの人種問題の歴史
Faces of America with Henry Louis Gates, Jr.

女性の地位と人権

2013/02/19

私のmt DNAと日本人とアメリカ原住民

ナショナル・ジオグラフィックのDNAプロジェクトでY-DNAとミトコンドリアのDNAを解析して祖先がどこから来たかを教えてくれるというので、参加してみた(女性の場合はmt-DNAだけ)。それで送られてきた結果が次の地図である。移動経路に日本が入っていない!そんなバカな。私の祖先は父方も母方も祖父母の代で明治に北海道の日高地方に入植した、いわばどこの馬の骨とも分からない部類の人間で、もちろん家系図などどいうものは伝わっていないけど、シベリア人やアメリカ原住民と祖先が共通ということはあっても、彼らが祖先にいたなどということはありえない。母の話によると、母の母(私の祖母)の実家は福井、富山あたりの薬屋だったと聞いていた。100ドルも取っといて(一部はDNAプロジェクトへの寄付金と書いてはあったけど)、それはないでしょうスペンサー・ウェルズ先生と頭に来たけれども、気を取り直してさらに読み進んでみた。

 次のようにハプログループDに属するとある。その下の7組の数字は私の属するサブハプログループを示すらしい。それでさらに詳しく日本のmt-DNAの文献を調べてみる。
 それで見つけたのが2004年の Mitochondrial Genome Variation in Eastern Asia and the Peopling of Japan という文献。ハプログループDのところを読むと、アメリカ原住民はD1とD2、日本人にはD4、D5、D6が見られ、頻度も高いとある。さらに読むと、16189というのがD5の分岐を定義しているとあるから、私はサブハプログループD5に属するらしい。その先の区分は、たまたま誰のDNAが解析されているかによって見えたり見えなかったりという感じなのでこの文献が書かれた段階ではあまり意味がなさそうだ。こういったことは既に2002年に分かっていたことだから、ナショナル・ジオグラフィックの地図は10年以上昔のデータに頼っているということになる。それはないでしょってまた言いたくなる。

さて、日本におけるD5というのがどういうグループなのかは、その分布を見なければわからない。D全体は、中央アジアと日本を含む東アジアのmt-DNAでは30~40%を占めているもっとも多く見られるハプログループであるらしい。その中でD5は南方系、D4は北方系でアイヌや沖縄人でも頻度が高いとある。さらに読み進むと、16189, 16223, 16362 がD4とD5の両方で見られることがあるという。つまり、D5だと確定できないようなので、ここまで来るともうお手上げである。


ともかく、この方の膨大な研究の中の「mtDNA亜型からみた系統関係と拡散経路」を引用させてもらうと、D5とD4は次のような位置にあるらしい。でもD5がこんなにD4から離れて孤立していてもいいのかという疑問も出てくる。

もう1つ図を引用させてもらうと、日本ではD5とD4を両方合わせると37%を超えている。しかし、D5はD4に比べてかなりの少数派であるらしい。満州のD5は比較的頻度が高いのに、D5が南方という根拠は?福井富山は裏日本だから、満州との関係を考えた方がいいのか?

いずれにしても、私の母方の遠い祖先の親戚の中には(別々の道を歩み出したのは3万5千年前らしいけど)、シベリアからアラスカに渡りアメリカ大陸を南下したのか、黒潮に乗ってアメリカの西海岸に渡ったのかは分からないけれども、太平洋をまたに掛けて移動した冒険精神に富んだ女性がいたことになる。そして、私もそのDNAを受け継いだということになる。(えっ。そんな冒険はハプログループDに限ったことじゃない?)



2013/02/13

都市伝説と殺人、レイプ、暴動



日本での南京落城(1937)に伴う史実ついての議論を聞くと、捏造という観点は聞きますが、都市伝説という観点を聞きません。日本語に元々あった概念ではないのでそういう観点が出てこないのかも知れません。しかし、捏造というだけでは、ここに引用することがはばかれるようなことを皆が簡単に信じてしまうという現象も、情報の発信者とそれを受け入れる側の両方にみられる思い込みも説明することは難しいように思われます。

NY TimesMore Horrible Than Truth: News Reports とい記事から孫引きすると、都市伝説というのは、混乱に陥った無法状態の都市の話として原始的な深層心理をくすぐる話し、そのときの社会秩序についてのその時点でのアイデアや偏見を満足する話しとして受け入れられると説明されています(原典はCarl Smith, a professor of English and American studies at Northwestern University and the author of "Urban Disorder and the Shape of Belief." )。つまり、都市伝説が明らかにするのは、その対象となった人々のことではなく、その話を流布し受け入れた人々が自分の伝統や体験に基づいてどんなことが起きてしかるべきと考えているかなのです。

実は上の記事はハリケーン・カテリーナで大洪水にみまわれた直後のニューオーリンズからの報道がいかに都市伝説のオンパレードだったかの説明です。

南京落城と洪水下のニューオーリンズを比べると次のようにその類似点が見えてきます。

関係者
洪水下のニューオーリンズ
南京落城
住民と占拠者
貧しい黒人。(残っていたのは街を出るにも車もお金も行く場所の当てもなかった人々がほとんど。)
貧しい中国人と日本軍。(金持ちは落城の数週間前に南京を出ていた。アイリス・チャンの祖父母も脱出組み)
当時の情報源
市当局、現地入りした報道陣、脱出できた旅行者、
安全区に留まっていた27人の西洋人、脱出できた裕福な中国人、アメリカのレポーター
当時情報を受け入れた人々
アメリカ政府、メディア、一般のアメリカ人
アメリカ政府、メディア、一般のアメリカ人
偏見の対象
貧しい黒人
東洋人(西洋人が中国人と日本人を区別して見ていたかどうかは疑問)
ちなみに、南京落城が後になって大々的に取り上げられたことが少なくとも3回ありました。しかもそれはFrank Capra のプロパガンダ映画(1944)、極東軍事裁判 1946~1948)、アイリス・チャン の本(1997) とすべてアメリカ発です(アメリカ特有の問題というつもりはありませんが)。

NY Times紙が取り上げたニューオーリンズでの都市伝説の話はさらにこの記事この記事に続きます。いろいろ読むと、実は都市伝説のせいで救出活動自体が大幅に遅れたことが分かります。偏見と差別がメディアや政府当局の対応のいい加減さの根元にあったと多くの人が感じたようです。そのとき報道された都市伝説を片っ端から集めたこのブログからは強い憤りが伝わってきます。実際はどうだったのかを知るには、そのときニューオーリンズに閉じ込められていた人々の生の声をまとめたこの番組がお勧めです。ハイライトは、市当局は、もうすぐバスが来ますとか、どこそこにバスが来ていますという嘘で、疲れ切った人々をあの暑さの中、こっちからあっち、あっちからこっちへとたらい回しに移動させたり整列させたりを繰り返していた。拳銃を持って街中を荒らし回っていると言われていた"ギャング"は、役立たずの市当局に代わって飲み水などの物資の確保と配給を仕切っていた。隣町の警察は自分たちの街を荒らされることを恐れて、橋を渡ろうとして歩いてきた人々を助けようとしなかったばかりか、銃を発砲して脅し、隣町に入ることを阻止していた、などという話です。

さて、この都市伝説(英語ではUrban MythUrban LegendContemporary Legendなどと言いますが)、伝説とか神話とかいうと人畜無害に聞こえますが、アメリカでは非常に根の深い厄介な社会問題を形成しています。代表的な例は魔女裁判だと思いますが、魔女裁判の現代版とも言うべき事件がいろいろ形を変えて登場するので油断はできません。例えば、保育園の先生が園児の性的虐待で訴えられて有罪になり、無罪を勝ち取って釈放されるまでに何年も掛かった話し、recovered memory (取り戻した記憶) なるもので親を性的虐待で訴えた話(これを裏返してファンタジーということにすればフロイドの説に到達するので根は深い)、離婚での親権争いで、父親が幼い子供に対して性的虐待を行ったと母親が訴えた話、などがあります。洪水下のニューオーリンズでの都市伝説もそのバリエーションといえます。そして南京の落城も都市伝説の発生に格好の条件を作り出したように見えます。

近々識者による史実の検証が行われるということですが、その際に是非考慮に入れていただきたい観点です。

もっとも、都市伝説という文化的背景があったとしても、憎むべきは、それを利用して話を拡大再生産し、プロパガンダや人心操作に利用しようとする勢力であることには変わりありません。

--追記--
これを書くためにネットをざっと(本当にざっとです)調べて思ったことがあります。こういうものは軽い気持ちで読むべきではないということです。それなりの覚悟と準備と精神的な強さがなければ、頭がおかしくなります。ここで繰り返すにはひどすぎる記述や写真がいろいろ出てきます。昔し広島平和記念資料館を訪れたときにも思ったことですが、ああいうものは気軽に見たり見せたりすべきものではない、特に子供に残虐な場面の詳細を見せることは百害あって一利なしだと思うのです。

この記事によると、アイリス・チャンは「最低限、日本政府が謝り、賠償金を払い、日本の子供たちにあの大虐殺の真実を教える」ことをしない限り、正義はもたらされないと主張したようですが、とんでもないことです。アイリス・チャンは祖父母から聞いた話に子供心を傷め、そのようなアイデアを育んできたのだと思いますが、日本政府がそのようなアイデアに迎合するばかりで、成熟した現代国家として対応してこなかったことは、大変残念です。世界中の民族が祖先の残虐行為を互いに摘発して謝罪を要求し合うことの愚かさは少し考えれば分かることです。敵愾心を煽るだけで平和共存の処方になりません。そういうことを言ってくる人には、「あなたの祖先も私の祖先にいろいろ悪さをしましたが、それについてはどうするおつもりですか。私は過去を水に流して新しく平和共存関係を構築する用意があります。」という答えがあるはずです。だいたい、国家が昔し戦争したり植民地にしたりした国に対して日本のように謝罪した例は他に聞きません。

2004年のアイリス・チャンの自殺を報道したこのには、1998年に、PBSのニュース番組で行われたアイリス・チャンと駐米日本大使との対談/インタビューの記録の一部が引用されていますが、日本政府の謝罪をどう思うかという質問に対する彼女の反応は、どこかうつろで、誠実みに欠けると言うばかり。土下座して謝っても彼女を満足させることができたかどうかを疑わせるような、かたくなな態度です。何が彼女の心を蝕んでいたのかだれも知らないようですが、中国人に対する差別や残虐行為を掘り出すことに専念することが、彼女の心を癒す役に立ったようには見えません。このインタビューのひとコマがなぜあの記事に引用されたのか、なにもコメントがありませんが、アイリス・チャンの悲劇がそこに映し出されていると感じるのは私だけでしょうか。

周りのアメリカ人に大虐殺があったと思うかと聞くと、大概は、良く知らないけど、あったんじゃない?でもあんな昔のこともう関係ないよ、という反応をします。それが血塗られた歴史を生きてきた人類の知恵なのだと思います。執拗に過去にあったことなかったことの区別なく糾弾されている日本人としては、真相を究明しておく必要がありますが、他民族を苦しめたことのない民族などいないわけですから、祖先の残虐行為を互いに摘発して謝罪を要求し合うことの愚かさを世界に対してアピールすることも重要だと思います。昨日まで仲良く暮らしていた異民族が、突然殺し合いを始めるのが近年の戦争の主流になっているのは、それを影で操り煽る勢力があるからに違いありませんが、煽られないようにする知恵を養う必要があるのも明らかです。

最後に、私の父は戦前の樺太で十代をすごし、戦時中は徴兵されて満州に行っていましたが、当時の体験の詳細は一切話して話してくれませんでした。水を向けても乗ってこないという感じでした。それは父だけではありませんでした。父はかの地の人々に好意的な感情を見せることはありませんでしたから、その体験が愉快なものでなかったことは察しが付きました。長い間そのことが気に掛かっていましたが、今はそれが当時の日本人の知恵だったのではないかと思うようになりました。戦後世代がかの地の人々に対する嫌悪や憎悪を前の世代から直接受け継がなかったことはいいことだと。もっとも嫌悪や憎悪を引き起こす新しい材料に事欠かない昨今の状況は大変残念なことですが。。。

参考リンク
    先の戦争について最もよくまとめられた記事は久保有政著の日本近代史シリーズのようです。
    日米戦争はなぜ起きたか
      
    アメリカは、真の敵が誰かを見誤った。
    「南京大虐殺」は捏造だった
      
    日本兵の犯罪は少数あったが、「大虐殺」はなかった。
    日米戦争とは何だったか
      
    「本当に勝ったのは日本である」というドラッカーの言葉の意味。 




    日韓併合時代の真実
      
    日本と朝鮮が仲良く手を取り合って生きていた時代があった
    韓流歴史観を正す
      
    日本は、自立できない朝鮮を建て直し、救った
    中国の「正しい歴史認識」の正体
      
    日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした。
    日中戦争の真実
      
    当時のローマ法王も、中国での日本の行動を支持した。
    日本とユダヤ
      
    日本とユダヤは、こんなに密接にかかわってきた。
      
    英語版もあります。 
    The So-Called Nanking Massacre was a Fabrication
    The Japanese military in Nanking was humane. The alleged massacre, which was said to have been committed by the Japanese military did not take place.
    The Pacific War - The USA Mistook the True Enemy
    The Pacific War and the Basis of Racial Equality
    The Pacific War was not "democracy vs. fascism." The USA mistook the true enemy. The true enemy of the Americans was not Japan. Japan fought the war for self-defense and to liberate Asian countries. It became the war of making the basis for racial equality.
    China’s Lie About the Senkaku Islands
    Why the Chinese Government tells a lie about the Senkaku Islands of Japan.
    Watch Documentary Movies of Nanking at Youtube
    (These are valuable records of the peaceful and restoring city of Nanking just after the Japanese occupation)
    * Chinese refugees and the Nanking Safety Zone
    * Japanese soldiers distributing certificates to Chinese citizens
    * Japanese soldiers preparing for the new year 1938 and the Chinese children celebrating New Year's Day


    その他の重要な資料

    • 日本の歴史家、秦 郁彦が南京事件の真相究明を英語で書いた文献
      http://www.wellesley.edu/Polisci/wj/China/Nanjing/nanjing2.html  (This seems to be the mainstream view in Japan about the Fall of Nanking)
    • Frank Capraのプロパガンダ映画がドキュメンタリー風に作られていることを英語で解説したビデオ。シナの博物館ではこれを史実の資料といて展示しているそうです。https://www.youtube.com/watch?v=r4zo6EMB2xc (This video shows how Frank Capra's propaganda movie was made with staged acts.)
    • 中国、朝鮮、ロシアが日本人に対して行った残虐行為、戦犯行為についてはネットで検索するといろいろ出てきます。Tongzhou (通州)1937もその1つです。