2017/06/25

とんでも本Japan's Imperial Conspiracy(天皇の陰謀)の著者の意図

この本、アメリカ人、デビッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』1971年出版は、中国系米国人アイリス・チャンの書いた『ザ・レイプ・オブ・南京――第二次大戦の忘れられたホロコースト』1997年出版の下敷きとなった本だそうである(南京虐殺本・米国知識人からの批判を参照)。この本に出会ったのは、占領下の日本についていろいろ調べていたとき、この本を訳して公開している松崎元という人のサイトにたどり着いたからだった。

天皇の陰謀
Japan's Imperial Conspiracy
by David Bergamini, 1971
ディビット・バーガミニ著:松崎 元 訳
占領軍を日本人はどう「もてなした」かを調べていたので、「ロマンスの開花」セクションが検索に引っ掛かった。面白いと思ったので、さらにあちこち読んでみた。読めば読むほど「講釈師、見てきたような嘘を言い」という印象が強くなった。しかも、どうやら日本人にはキリスト教徒のような「立派」な倫理(特に性に関する)がなく、卑屈で、冷徹な奸計をめぐらして人を平気で欺くという印象を読者に与えようとしているらしいのである。翻訳では著者の姿勢やトーンがわかりにくいので、元の英語の本も取り寄せて読んでみることにした。

「著者より読者へ」を読むと、著者は日本生まれで9歳まで日本で育ち、その後、あの日中戦争初期の1937年10月に父親の仕事の関係で中国へ行き、さらにフィリピンに引っ越したら日本軍がやって来て強制収容所に入れられ、政情が安定していた一時期は家に帰ることができたが、終戦は収容所で迎えたとある。父親のJohn Van Wie Bergamini (1888 – 1975) は、建築家であったが、エピスコパル派の宣教師でもあった。日本では聖路加病院の建築に携わった。

この本を書いた動機については、戦中に中国とフィリピンで見聞きした残虐な日本人と戦前の日本で体験した「物静かで、思慮深く、思いやりがあって親しみのもてる」日本人とを自分の頭の中でどう折り合いを付けていいのかわからなくなり、やがて日本人の残虐な行為を、「当たり前かのごとくみなすようになっていた。父の友人たちは、それを明らかな「日本人の劣等感」のゆえとしていた。近くに住んでいた中国人将軍は、それは日本の指導層に責任があると言っていた。彼によれば、日本は世界を征服しようと望む尊敬すべからぬ天皇によって統治されていた。私は、この将軍の見方を、そのシンプルさゆえに、受け入れていた。」と書いている。つまり、天皇が舵取りをしていたのだから、天皇個人が戦争犯罪人として糾弾されなかったことは許せない、天皇が名前だけの元首だった、盲判を押していたなどという言い訳は通用しない、西洋の立憲君主のイメージから派生する先入観につけ込んだ、ずる賢い日本人にだまされてたまるかと言いたかったらしいのである。

さて、日中戦争当時のアメリカにおける大掛かりな反日プロパガンダとコミンテルンの陰謀について、江崎道郎氏の研究を学んだ方は、バーガミニがちょうどその頃、キリスト教の宣教師だった父親に付いて中国に行っていたと聞いて、ちょっと待てよと思ったに違いない。なにせ、当時中国で宣教活動をしていたアメリカの宣教師たちは、YMCAを中心に、日本軍の中国人に対する残虐行為を許すなという反日プロパガンダを捏造拡散した勢力の中核を形成していたのだから。

日本人の犯した「戦争犯罪」のみを、執拗に追求するのはなぜか。日本人の残虐行為に対して空襲と原爆で報復した、お相子だと言っておきながら、シナ人やアメリカ人の犯した戦争犯罪を問題にすることなしに、日本人の戦争犯罪のみを追求する異常さが全く気にならないらしい。それだけで、この本を書いた動機が歪んだものであると判断せざるを得ない。

あの戦争は日本人に対する戦争ではなく、ファシズムに対する戦争だったのだそうだが、それが原爆や空爆による日本人大量殺戮や軍事裁判というリンチの言い訳になると考える神経回路は理解に苦しむ。

天皇がseremonial figurehead (儀式上の名目だけの長−xxxviiページ)だなどと誰が言ったのか。天皇を「象徴」と位置づけたのは占領軍である。雲上人の天皇は「ただの」象徴的存在で、地上の民の生活など一顧だにせず贅沢三昧の結構な生活を送っていると想像していたのは日本人ではない(日本人でも共産主義者はそう思っていたらしいが。。。)。それは自国の王制や皇帝の歴史から勝手に類推していた白人やシナ人である。バーガミニはそのことを十分承知の上で、英語の読者向けに天皇が実際にどのような権力を持っていたかを示すためにこの本を書いたと言う。しかし、残念ながら、資料の質を考慮せずに、嘘と偏見で凝り固まった視点から都合の良い資料を選択したことは明らかである。本人のバーガミニが前書きで、
I set out to select the most pivotal events from my research and to bring them alive with light and color...I did my best to make the reader feel that he was present.
と白状している。ただ、メリハリを付けて生き生きとした臨場感あふれる物語として書くという目標は達成しているから、何も知らない読者はつい引き込まれてしまう。占領軍に対する「もてなし」に関する話も、アメリカ人が日本人のずる賢い不道徳な誘惑にいかに負けてしまったかという印象を与えるように書かれている。何せ占領軍が上陸する前から、上は皇族から下はヤクザまがいの土建屋までが協力して、RAA (Recreation and Amusment Association)または特殊慰安施設協会という公のセックスビジネスを準備し、そのもてなしで占領軍を懐柔し、有利な条件を引き出そうと腐心し、私財まで投入していたというのだから。

一方当時、東京都の仕事をしていた磯村栄一氏は、占領軍からの命令でレクリエーション・センターと呼ばれた占領軍のための慰安所を設置したことを、ほぼ半世紀後に告白しているが、パーガミニはその命令については一言も触れていない。さらに、ウィキペディアの特殊慰安施設協会のページによると、
占領軍はRAAだけでは満足できずに、GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が9月28日に、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れながら、占領軍用の女性を世話してくれと要求した。また、与謝野光は将校、白人兵士、黒人兵士用の仕分けの相談も応じた。
GHQは「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはいけない」と性病検診を命令し、与謝野はこれを受けて東京都令第一号と警視庁令第一号で性病予防規則を制定し、週一回の強制検診を実施した。都は、10月22日に「占領軍兵士を相手にする女性の性器の洗浄と定期的な検診の義務付け」を盛り込んだ規則を制定した。これが、戦後都政が発令した第一号の条例である。
ということだが、パーガミニはそれにも触れていない。占領軍は、将兵が売春施設へ出入りし、いかがわしい女たちと関わることを禁止する方針でいたから、占領7ヶ月で禁止のお布令が出て、公の施設は閉じた。しかし、それで暇を持て余していた男たちの性行動を制御できる訳がないから、公娼施設が民営の売春施設に変わり、パンパンやオンリーと呼ばれた占領軍相手の売春婦が派手な格好で街を闊歩しただけでなく、強姦も増えた。キリスト教的道徳を振りかざして現実の人間に適切に対応しようとしない偽善者の面目躍如であるが、その顛末にも触れていない(チャンネル桜のいわゆる「従軍慰安婦問題」の嘘を参照)。

天皇の話に戻ると、天皇と国民の関係は女王バチと働きバチの関係に比較するとわかりやすい。女王バチと女王バチ候補の幼虫は特別に保護され、ロイヤルゼリーという特別なご馳走を与えられる。だからといって、女王バチは好き勝手なことをして贅沢三昧な暮らしをしている訳ではない。外に出て飛び回ることができるのは、一生に一度だけ、古巣を出て新しい巣を作り、空高く舞い上がって雄バチと交配した後は、一生巣に閉じこもって卵を産むことに専念する。働きバチが一生懸命働くのは、奴隷使いのムチが怖くて渋々命令に従っているからではない。巣の繁栄と子孫のためにそれぞれの役割を一生懸命に遂行しているにすぎない。

天皇は国民を産む訳ではないが、「日本人」としての心の拠り所を示すという意味では、国民を産むと言えるかもしれない。イメージや比喩でしか世界を理解できない人間に、国の要の在り処を示し、国の存続と繁栄という共通の目的のために各自がそれぞれの役割を果たすことに意味があることを、国が一つの有機体、一つの生命体であることを、国を天皇あるいは皇室に投影することによって具現化あるいは視覚化するために日本人が維持してきた知恵である。

日本の歴史において、天皇あるいは皇室がどのような役割を果たすべきかは、明確に規定されていた訳でも、理解されていた訳でもない。その時々の天皇あるいは皇室がその時々に必要とされる役割を柔軟にこなす力量があったから、これまで天皇制が維持されてきたのである。天皇が圧倒的な力と奸計で日本国民を制圧して権力を維持してきたと考える人がいるとすれば、それは日本の歴史を全く知らない人間であろう。歴代の将軍たちには、皇室を抹殺する力と機会が幾度もあったが、やらなかった。あの占領軍のマッカーサー元帥でさえその知恵を踏襲したのである。天皇は日本の歴史の曲がり角の要所要所で、天皇だからできることをしてきた、それが天皇制の長寿の秘訣であり、日本国の長寿の秘訣だった。のほほんと贅沢三昧で暮らしてきた人間にできることではない(江崎道朗の「戦後体制と天皇陛下 ~国民の幸福を祈念する皇室の伝統~」を参照)

ペリーが4艘の黒船で東京湾に侵入してきて以来、日本は白人の帝国主義者たちに立ち向かうための体制を整えようと右往左往してきた。天皇はそれを手をこまねいて傍観できる立場にはなかった。天皇制は日本の国もろとも白人に破壊されて消滅するかもしれなかったのだから。天皇が指導力を発揮しなければならない局面がいくつもあった。それは日本人にとっては、ごく自然のことであったが、それをあの戦争の本当の原因を掘り下げることなく、偽文書を基にして、あの戦争は世界制覇を目指した天皇の陰謀であり、その天皇個人を戦争犯罪人として糾弾しなかったのはけしからといわれても、ごもっともですという訳にはいかない。もっとも、あのインチキ軍事裁判の論理からすると、鬼畜英米!やっちまえ!と騒いだ日本人はみんな戦犯になる。

バーガミニが天皇の役割を正しく理解していれば、Imperial Conspiracy(天皇の陰謀)ではなく Imperial Resolve(天皇の覚悟)という題の本を書いたに違いない。残念ながら、バーガミニは自分の思い込みを証明するために、あるいは古いプロパガンダを再生させるために資料を選び、見てきたような嘘をつくことを恥としなかったと思わざるを得ない。この本は歴史ではなくフィクションであり、プロパガンダである。

ついでに言わせてもらうと、あのインチキ裁判裁判長を勤めたオーストラリア人が臆面もなく前書きを書いていること自体が、この本のいかがわしい正体をいっそう明らかにしている。