2013/06/04

Y DNA と ミトコンドリアル DNA から見た男女の歴史の違い

上田悦子 著

起源説というのは世界中のどの文化的伝統にも見られる人類共通の神話的テーマの一つである。どうやら、人間には自分たちがどこから来てどこへ向かっているのかを知りたいという本能的な欲求があるらしい。祖先探しや考古学の人気もその証拠といえるかも知れない。私が人類の歴史をどこまでさかのぼって知ることが できるのかという興味で初めて積極的に調べてみたのは中学生のとき(1960年代の始め)だった。学校の図書室で世界史関係の本をあれこれ開いてその種の情報を探してみたのを覚えている。でも大したことは分からなかった。石器時代、銅/青 銅器時代、鉄器時代という進化があったこと(そんなことは前から知っていた)、そして進んだ武器や道具を持ったグループが持っていない地域の住民を侵略す るということが地中海周辺で繰り返された跡があること。中にヒッタイトというグループがいて、鉄器とチャリオットという戦闘用の馬車の技術を使って勢力を拡大したこと。ヒッタイトがどこから来たかは「北から来たアーリア人」というだけではっきりしないらしい、というぐらいのことしか分からなかった。

それで、全世界で DNA プロジェクトが進行中で数年中にまとまった結果が報告されるという話をネットで見つけたときは興味をそそられた。Y染色体DNAは父から息子に、ミトコンドリア(mt) DNAは母から娘と息子にそのまま、つまりほかのDNAのように母方と父方のDNAが ごちゃ混ぜにならずに遺伝される。代々伝わってきた中で発生した無機能な部分の突然変異のパターンを比べると遺伝子的な距離といつ頃枝分かれしたかが推定 できるということで、特異的な変異に基づく分類と系統図が作成されている。もっとも、いまだに命名などの修正が多く、素人がその辺のいきさつを知らずに文 献を読むと混乱する。2012年現在では世界各地からのデータに基づく研究報告がかなり蓄積して来ている。インターネットやテレビ番組などでもあれこれ報告されている。その中で最も大きな発見は、女性と男性の移動と定着のパターンに大きな違いがあったということではないかと思う。

これまでに公開された世界各地からのデータの比較、ヨーロッパ、アフリカ、インド、シナ、日本のデータのまとめを見ると、Y DNAは新しく侵入してきたグループがその地域の多数を占めるというパターンになっている。つまり以前その地域にいた男たち、つまり被占領民のY DNAが少数派になっているのである。具体的には、程度の差はあるけれども、ヨーロッパでは旧石器時代の狩猟採集民族が農耕と小動物の家畜化で優位に立った新石器時代の民族のY DNAによって駆逐され、さらにそのグループは遺伝子的には大差ない場合も多いけれども、青銅器時代に牛の牧畜、馬、馬車、および金属の武器と道具で優位に立った民族によって支配されるようになったということらしい。駆逐されたグループのY DNAの多くは経済的に不利な山奥や離島、寒冷地などの僻地に集中しているというのも共通に見られる現象である。もっとも、寒冷な北欧に押しやられていたバイキングが、気候が温暖になったときに勢力を盛り返して、ロシアも含めて西ヨーロッパとイギリスを席巻したという巻き返しもある。一方、女性のmtDNA は最初は狩猟採集民族と農耕民族が混合せずに住み分けしていたように見え、一方が他方を駆逐するという現象が起きていない。その後も、一番新しい牛の牧畜、馬、馬車、および金属で優位に立った民族のものがそれ以前の狩猟採集および農耕民族のmtDNA に対して圧倒的な多数を示していない。女性の場合は、政治経済的に優位に立ったとしても、女子供を含めたジェノサイドでもやらない限り、遺伝子的に圧倒するということは、生理的に難しいということもある。
これを実際 の人間の歴史という観点から見ると、格別新しい発見でもなんでもない。男を皆殺しにして、女を奴隷として連れて行ったという話しや、町ごと焼き討ちして全滅させたという古代の記録が手柄話として残っているだけでなく、世界のあちこちで、つい最近まであるいは今日でも大規模の移住や侵略によって現地の元の住民が実質的に絶滅した、または辺境に追いやられた例はそれほど遠い記憶ではない。南北のアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカは言うに及ばす、中国とそ の周辺を取り囲む諸民族間の興亡、黒海周辺からエジプトまでのバルカン半島、東地中海と中近東一帯の何千年にも渡る侵略と征服の繰り返しはまだ続いている。

小規模の侵略で、支配者層が入れ替わった例もたくさんある。これは王朝の入れ替わりという形で記録されている場合が多い。エジプト王朝はツータンカーメン(1332 BC – 1323 BC) 以前から既に北から来た白人種族であった。その後も何度か王朝が入れ替わっていて、クレオパトラで終わった最後の王朝はギリシャのアレクサンダー大王のエジプト征服(332 B.C.)で 築かれたものである。インドもイギリスが海からやってきて植民地化するまでは似たような王朝の入れ替わりが北西から来たアーリア族やイスラム帝国、モンゴル帝国などによ る侵略によって繰り返されてきた。そのイギリス自体も、ケルト人、ローマ帝国、アングロ・サクソン、バイキング、ノルマン人などの侵略によって次々に民族構成と王朝が替わっている。シナでもモンゴルなどの北方の周辺民族が繰り返し侵略して王朝が変わり、北方系の Y DNA が南部に浸透して民族の構成も変わっている。現在の王朝である共産党が権力を握ったのは極最近、第二次大戦以後の1949年であり、それ以前の歴史の大部分は戦闘力で勝っていた北方騎馬民族が支配する植民地であった。その最後は1912年の中華民国の設立で終焉した、満州族が建てた清王朝だった。今でもシナは共産党というグループの植民地と見ることもできる。
日本は例外で、外からの侵略による王朝/民族の入れ替わりは有史以前(6世紀まで)に終わっていたらしく、現在の皇室は1500年以上続いてきた世界一古い長命の王朝である。支配者層と一般大衆の人種民族的背景の違いがはっきり分かれているイギリスとは異なり、日本ではそのような違いが仮にあったとしても、それをたどることは簡単ではないが、歴史のある時点で民族構成を変えるほどの規模の侵略や移民があったことは、Y DNAの研究から見ることができる九州南端で日本の西半分が火山灰に埋もれるほどの大きな火山の爆発が数回あったことがわかっているから、そのたびに、氷河期や縄文期の先住民が西日本南日本で全滅し、そのに大陸や南方から別の民族が来て住み着いた可能性も高い。下のグラフに示されているように、古いD系統の民族の頻度が九州で低く、新しく来たO-M122系統の頻度が九州で高くなっていることとも矛盾しない。


図1.日本のY DNA の分布: Dが古い狩猟漁労採集民から受け継いだY DNA、O が水田を広げ、弥生時代以降に勢力を拡大していった民族のY DNAと考えられている。



小規模でも 大規模でも侵略が暴力による制圧征服であるという基本的な性質は変わっていない(氷河や旱魃、津波などの天災で無人化した地帯に入植した場合を例外とし て)。奴隷経済や植民地化、さらには近年の金融支配による搾取も武装した侵略者や軍事力の裏づけなしでは維持できない。これを人間レベルで見ると、侵略に抵抗した男たちは殺され、女たちは好むと好まざるとに関わらず奴隷化され侵略者の子供を生まされる。殺されなかった男たちは奴隷化されたり下層階級として 経済的に不利な立場に追いやられ、子孫を残す機会は制限される。  

征服者(大多数が男)にとって、征服した女も生ませた子供も自分の所有物であり、子供は奴隷や認知されない私生児として扱われる場合も多く、自分と同じ出身の女との間に生まれた純血の子供たちより社会的な地位は低い。こうして階級制度が生まれる。

北米では原住民(インディアン)を奴隷化できなかったために、奴隷をアフリカから連れて来たわけだけど、原住民を娶った例は沢山あり、混血の子供たちは純血の白人の 子供たちと同じ社会的地位を与えられることはなかった(原住民にアメリカの市民権を与えると「戦争」という名目で大量殺戮と土地の収奪を合法的に行うこと ができなくなるので、アメリカ政府は彼らに市民権を与えることはしなかった。現在でもインディアン特別保留地は外国扱いで、アメリカの法律は完全には適用されない)。黒人と白人の関係を見ると階級制度は一層明確で、少しでも黒人の血が混じっていると黒人として扱われる(アメリカでは50%白 人の大統領が黒人と呼ばれるが、中南米へ行くと白人の血が少しでも混じっていれば白人として扱われるところもある)。一方、白人が奴隷の黒人女に子供を産 ませることは当たり前のこととして行われ、生まれた子供は黒人奴隷として扱われ、父親が誰か知らされなかった場合も多い。今日のアメリカの黒人と呼ばれる人々を見ると、最近アフリカから来た人々を除いて、白人の血が混じっていない黒人は皆無と言っていい(Faces of America with Henry Louis Gates, Jr. 参照)。

男たちは自分の血肉を分けた子供を奴隷や私生児として扱うことを何とも思わなかったのである。正式の結婚という形を取っても、男は妻や子供たちに対して絶対的な権限を与えられ、自分の所有物のごとく扱ったこと、娘たちは息子たちと同じ権利を与えられなかったことは多くの社会で見られた歴史的な事実であり、その背景に ある侵略の歴史を考えれば容易に理解できる現象である。階級に関係なく女に資産の所有権相続権がなかった場合も多い。今日でもその伝統が生きているところ はイスラム教社会を始めとして世界中に沢山残っている。そいう社会の男たちが自分の母親に対してどういう感情を抱くのか、女の私には想像もできないけど、 父方の名前を名乗るということは、母方の血筋は重視されなかったということであり、父親の社会的地位を受け継ぐには、母親が低い階級の出身である場合は特に、母方の血筋を無視する必要があったことは想像に難くない。もっとも、王位の継承を見ると男女の差より血筋が重要であることは明らかで、男の後継者がい ない場合は、女が王位を継承することも珍しくない。エジプト王朝のように支配者の層が薄かったところでは、血筋の純粋さを維持するために兄弟姉妹間の結婚 さえ行われたのは有名である。

民主主義が採用された後の西洋近代社会でも、庶民階級(被支配階級)の男たちが選挙権を勝ち取ったのは後のこと。西洋の民主主義社会で支配階級の女も含めて女が投票権と資産の所有権を勝ち取ったのはそれよりさらに後の第一次世界大戦から第二次大戦にかけての頃(20世紀前半)で、男女同権も人権もきわめて新しい概念である。今日でも、世界には女が男の所有物として扱われるところが沢山残っているだけでなく、男女同権を達成したように見える社会でも、昔どおりに女を自分の支配下に置き、女性の生殖機能も自分の支配下に置きたいと思っている男たちが沢山いることも見逃せない事実であるが、侵略と征服の歴史における男女の違いを見れば男の特権意識の由来は明らかであ る。

サイエンス・フィクションというと未来を想像して描くものというのが建前であるが、侵略、略奪、殺戮を繰り返してきた人類の歴史を単純に反映したものが多い。アメリカで人気のある映画やテレビ・ドラマにもSopranosなどのマフィア物や Game of Throne など男権社会の生の力が支配する権力闘争を描いたものが少なくない。現代の進んだ文明社会も一皮むけば、生の力が支配する男中心の社会であることを皆知っているということなのかも知れない。それともそれは男たちのノスタルジアなのだろうか。

ここで考えてみたいことの一つは、男たちが築いてきた武力に基づく支配体制が、鎧兜に身を固めた馬上の騎士のように過去のものになるのか、ということである。その方向は既に、女性が戦争の終焉と社会の再建設の鍵を握ると考えている Swanee Hunt の活動に示されている。


 

参考文献

遺伝子の研究



日本人の起源


アメリカの人種問題の歴史
Faces of America with Henry Louis Gates, Jr.

女性の地位と人権

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