2014/11/23

日本帝国の終戦工作と棄民政策

ユーラシアン・ルーレット:第二次世界大戦下の日本の終戦工作
小代 有希子 2007年 (実際に出版されているのは下の英語版のみ)を読んだ。
Imperial Eclipse: Japan's Strategic Thinking about Continental Asia before August 1945 (Studies of the Weatherhead East Asian Institute, Columbia University) … (Kindle Edition)
何を調べていてこの本に行き当たったのか覚えていないが、あの戦争の終結に当たって、日本政府が何を考え何をしようとしていたのかは、日本人なら誰でも知りたいと思うこと。元々は「ユーラシアン・ルーレット:第二次世界大戦下の日本の終戦工作」という題の論文だったらしいが、本は英語版しか出ていない。それで、キンドルブックにしては大枚の$23.99を払って読んでみた。
簡単にまとめると、ドイツが降伏した後、アメリカとソ連の対立構造が明らかになってきたので、それを利用して、アジアでアメリカが1人勝ちにならないように、ソ連軍が東アジアでの足場を固めるのを待ってポツダム宣言を受け入れた。なぜなら、それが、アメリカに日本の利用価値を印象付け、冷戦構造の中で日本が生き延び再生する道だと考えられたからだというのである。つまり、日本の戦後の復興を支えた朝鮮特需やベトナム特需は棚からボタ餅ではなく、終戦工作の中で日本が仕掛けたということになるのだそうだ。
それはそれで、いろいろ一次資料らしいものにも当たっていて、面白い。本当にそうなら、日本帝国の指導者たちを少しは見直してもいいと思いながら読んでいたのだが、その評価の部分を読んでずっこけてしまった。それは日本帝国の犯罪性を示す工作の一つだったというのである。つまり、朝鮮人はもとより大陸や半島にいた民間の日本人も軍隊も保護救出する努力を一切行わなかった(ソ連軍の動きに気が付いていることを悟られないように、何もするなと命令した。さらには、大陸にいた日本の軍人と民間人を終戦後ひそかに労働力として差し出していたように見える)のは、国民や植民地の人々を犠牲にすることを何とも思わなかった日本帝国の指導者たちの残忍性、犯罪性の証拠であるというのである。南京大虐殺、朝鮮慰安婦の強制連行、朝鮮労働者の強制連行、ブタンの死の行進などに並ぶ犯罪だと(なぜか、それらの出来事がプロパガンダによる捏造だったということにも、日本以外の国の犯罪や残虐性についても全然関心がないようなのが気になる。台湾のことにも全く関心がないらしい)。
もう一つ面白いと思ったのは、戦前、戦中、戦後を通して、共産党や社会党に関わってきた知識人が、内外でどのように反日プロパガンダに関わってきたかが書かれていることである。なぜかあの慰安婦強制連行のでっち上げで有名になった吉田清治の名前は出てこないが、類似の本や映画を書いた人物がリスアップされている(日本帝国の残虐性を告白目撃した証拠として)。

記憶から消すようにして省みなかったかつての領土、南洋の島々などにもっと関心を持つべきだというのは賛成である。小代ゼミがサイパン島などの歴史を調べて、土着民の戦前戦後にたどった運命や戦前の日本人がどのように関わってきたかを記録しているのは、いいことだと思う。アメリカの反日洗脳教育にも関わらず彼らが戦後一貫して日本びいきだった理由、日本人がいかに親切でスマートな統治をしていたかが明らかになる。
老婆心までに小代先生へのアドバイスを付け加えておくと、朝鮮慰安婦の強制連行はなかったということが明らかになった今の日本では、日本語版を出すならコアの終戦工作の部分だけにして、一次資料で確認していないことについては、断定的な記述を控えるのが賢明かもしれない。

ただし、日本政府が、失った領土の人々はともかく、自国民を切捨て見捨ててきたというのは、一考の余地があると思う。それは日本伝統(?)の棄民政策だからである(日本が統治権を放棄させられた領土の人々の運命については、その領土の統治権を手に入れた国々に文句を言ってもらうのが筋だ)。ネットで棄民政策について書いたものをいくつか拾って読んでみた。

棄民政策は、政府が特権階級意識を持って行うのではなく、日本国民が目を背け、目を瞑って、ときには積極的に汚いものにふたをするようにして支持してきた政策ではないかと思う。棄民政策は、政策の担当者や執行者が、切捨て、見殺しなど、安易で無責任な対応でお茶を濁すことが許されていることと関係があるように見える。日本人は思いやりがあり、誠実、勤勉で、問題に柔軟に対応できるだけの知恵もあると思いたいが、政府や役人の対応となると、まるで別の民族のようにそれらの徳が消えてしまうのはなぜか。公職追放の影響も考えなくてはならないのかもしれない。



第二次世界大戦末期、軍国主義に洗脳された日本は狂信的に戦い続けようとしたが、原爆投下によってようやく降伏した―というのは戦後できあがった神話の1つにすぎない。日本政府は、ソ連が日米和平交渉を取り持ってくれると最後まで期待し、ソ連参戦まで降伏を先延ばしにしてしまった、というのも「東京裁判」が作り出した神話の1つだ。この著は、戦争末期に日本人が抱いた世界観を掘り起こし「終戦神話」の修正を迫る。軍・政治・外交指導者や知識人たちは、当時すでに顕著化しつつあったアメリカとソ連の覇権争いに注目し、大日本帝国崩壊後の中国と朝鮮に干渉してくることを予測した。そして新しい東アジア情勢の中で「敗戦日本」はどう生き延び、復活できるかを考えた。日本は決して無策のまま無条件降伏したわけではない。しかし戦後冷戦構造の下アメリカの同盟国として再起する過程で、この「終戦戦略」は隠蔽され、日本人は中国の戦場を、朝鮮の植民地を、そしてソ連との奇妙な友好と駆け引きを忘れていった。これまで語られることがなかった日本の終戦工作・考察を明らかにすることで、日本人が70年間忘れていた記憶を呼びさまし、新しい「日本の戦争と植民地帝国の歴史」を描くきっかけをこの著が提供することを期待したい。


2014/10/29

江戸(朝日)の敵をニューヨーク(NYT)で討つ反日勢力

私が阿部内閣を支持していることを知っているうちのアメリカ人(夫)が、安部首相の支持者は本当に危険な極右だってこと知っているのかというから、何のことかと思ったら、ニューヨークタイムズの「Pressure in Japan to Forget Sins of War」(戦争の罪を忘れようとする日本国内の圧力)という記事によると、北海道の小さな漁村で強制連行されて過酷な強制労働で死亡した朝鮮人の遺骨が40体ほど飛行場の跡地の野原の墓の印のない場所で見つかって、その場所に追悼碑を建てようとした村の村長が、ネトウヨの脅迫(村の海産物のボイコットなど)にまけて取りやめたとNYTに書いてあるというのである。

朝鮮人強制連行(慰安婦も含めて)の追悼碑については、強制連行自体がなかった(朝鮮人の勤労動員は終戦近くになって実施されたが、これは日本人もやらされていたことだから、日本国民であった朝鮮人に適用されたことを問題視する日本人は少ない)ことから多くの日本人がそのような碑の存在を快く思っていないことも知っていたので、夫にはきっとその碑文に問題があったのだと思うと反論したが、なぜか右翼=ヤクザと思っているらしく、この記事もその証拠の一つと確信しているようだった。

それでとにかく、その記事で取り上げられた猿払村の出来事が日本ではどのように扱われているのか調べてみると、関連の記事は1年前のものしかなく、最近それを取り上げている記事もブログも見つからなかった。これはどう見ても、吉田証言に基づいて慰安婦の強制連行をでっち上げた記事を取り下げるところまで追い詰められた朝日=反日勢力は、海外に訂正記事を配布して謝罪する気は一切なく、多くの日本人の知らないところで、日本人の力の及ばないところで、反撃に出たということである。ちなみに記事は MARTIN FACKLER という人が書いたことになっているが、最後まで読むと実際には Hisako Ueno という日本人の寄稿が元になっていることがわかる。

このNYTの記事を読んだ人は、劣悪な食事と不衛生な環境におかれ過酷な強制労働で病死した朝鮮人がゴミのように捨てられ埋められたという印象を持つ(寺に名簿が残っているということは何らかの供養が行われたことを示す)。さらに碑を建てようとしたのは村ではなく、実際には朝鮮や共産党に関係する市民団体が、村の所有地である墓地にすでに墓碑があるにもかかわらず、村に碑を立てるための許可の申請も行わずに、村有地を勝手に使おうとしていたということも知らずに終わる。

記事の中の写真には墓碑が写っているが、それを読むことができるのは日本人と中国人だけであろうから、説明なしではあまり意味がない。

2014/01/20

セックス・ストライキと天岩戸神話

Pray the Devil Back To Hell
Pray the Devil Back to Hell (ドキュメンタリー・ビデオ) はアフリカ西海岸のリベリアの内戦が女性の平和運動によって終結したという前代未聞の出来事を紹介したドキュメンタリーで、2009年に Bill Moyers Journal で関係者のインタビューと同時に放送されたのを見た。その中でセックス・ストライキが平和運動の作戦の一つとして提案されたと紹介されていた。そのアイデアには笑ってしまったが、詳しい説明はなかったので、それが効果があったのかどうか気になっていた(インタビューに来るレポーターが必ず最初に聞くのがこのセックス・ストライキのことだそうだ)。

調べてみると、この奇抜に聞こえたアイデアには、古今東西に長い歴史と伝統があるということがわかった。ウィキペディアによると、古代ギリシャにそのものずばり、セックス・ストライキで戦争ばかりしていた男たちに戦争をやめさせたという筋書きの「女の平和」という喜劇があった。さらに、1953年にはそれが映画化されている。英語のウィキペディアでSex Strikeを検索したら、アフリカのナイジェリアあたりの古い伝統の中にもそのような例があるという。ということは、リベリアの平和運動のリーダーたちの中にもこの伝統的なセックス・ストライキの知識を持っていた人がいたのかもしれない。あるいは、女ならいざとなったら誰でも考えることなのかもしれない。何せ、その伝統は霊長類つまり猿にまでさかのぼることができるというのだから(Chris Knight 1991)。

それはともかく、この平和運動を立ち上げ先導したリーマ・ボウイーという女性は2011年にノーベル平和賞を受賞し、も出している。日本語訳は『祈りよ力となれ――リーマ・ボウイー自伝』となっている。以前から読んでみようと思っていたのをようやく英語のオーディオブックで聞いた。

ちなみに、このオーディオブックというのは大変ありがたい。一日中仕事で字を読んでいるので、目が疲れて本を読むのが億劫になる。特に英語の本は敬遠しがちになってしまう。オーディオブックなら目を閉じて耳を傾けるだけでいい(気がついたら眠っていたなんてこともしょっちゅうなんだけど。。。)

さて、ギリシャ喜劇の「女の平和」では女たちはアクロポリスを占拠して立てこもり、そこで管理されていた軍資金も押さえる。女たちの中には、いろいろ言い訳を作って男と会いに行く者も出てくるが、リーダーのリューシストラテーはみんなを説得して団結を固め、男たちに対しては、思わせぶりに誘惑しておいて、突き放すという作戦。男たちは躍起になってストライキ破りを試みる。最初は居丈高に出て、力ずくでバリケードを破ろうとするが、最後にはセックスレス生活に耐え切れなくなって女たちの要求を飲むという話。

それに比べて、リベリアの女たちの状況はというと、銃や刃物で脅して強姦してまわる、兵士とは名ばかりのならず者が幅を利かせている社会である。そんな雰囲気の中でセックス・ストライキなどを宣言しても強姦されるのが落ちである。どこかに立てこもることができれば、何とかなるかもしれないけど、武器を持った相手に対抗できるとは考えられない。案の定、ストライキ宣言して、殴られて、強姦されたなんて人もいたらしい。もっとも、ストライキの対象は村から村、町から町と荒らしまわっているならず者ではなく、一般の被害者側の男たちで、女が強姦され国土が荒廃するのを為すすべもなく看過している腰抜けの男たちに活を入れるという意味もあった。田舎では成功した事例もあったらしい。田舎にはまだ伝統的な男性立ち入り禁止の集会所があったりして、そこで女たちが団結し、平和の神の顔を見るまでは禁欲すると宣言して、男たちに協力させたらしい。「~断ち」の一種、願掛けと見ることもできる。

考えてみると、男の暴力に手を焼き、激怒した女がストライキ(セックスだけでなく家事もやらない)を打ったという話は古くからあり、日本では天岩戸神話という形で残っている。これを日食神話や冬至神話の一つとみなす解釈もあるようだけど、そのような解釈は男の暴力に手を焼いたという部分を無視している。さらに卑弥呼という女帝については、男たちが国を治めることができなかったので女帝を立てたと説明されている。つまり、男たちに任せておくと、暴力沙汰で暴力団の縄張り争いのようなことばかりが行われ、国が荒れ、女は強姦されるという古今東西の人類史上の現象がその背景にあることの方が重要であるということに気が付かないのは、男の視点から歴史を見ているからではないのか。さらにいえば、最近遷宮で話題になった伊勢神宮が天照大御神という女神を祭る天皇家の神社であることが日本の歴史伝統における女性の地位を示す1つの証拠であることを誰も指摘しようとしないのは、奇妙といえば奇妙ではあるが、その伝統が天皇家において引き継がれていることの意義は大きいと思う。

伊藤俊幸さんの膨大な「日本人の源流を探して」という研究の「日本神話の成立 -ギリシャ神話との繋がり」に天岩戸とそれにまつわるさまざまな神話のモチーフが遊牧文明の洗礼をうけた世界各地に見られることが指摘されている。しかも、天岩戸神話でもそれに似たギリシャ神話のポセイドンの話でも、馬(遊牧文明では馬=武力)と強姦がストライキの直接の原因となった出来事に結びついてる。そして、ストライキ中に発生するさまざまの災いは、女の力を再認識して、女を激怒させるようなことをしてはならないという戒めとも取ることができる。

歴史をさかのぼると、旧石器時代から新石器時代にかけて、ほぼ3万年前から氷河が後退して、狩猟採集文化から初期の農耕文化に移行した時期、5、6千年前までの時期にかけて(日本では縄文時代)、豊満な女性をかたどった偶像が世界各地で発掘されている。Google で「ビーナス像+地母神」を入力して画像を検索すると実にたくさん出てくる。英語では Earth-Mother-Earth に比較的良くまとまった写真と解説がある。




   
ヴィーレンドルフのビーナス像
(約3万年前ヨーロッパ)
ウィキメディア・コモンズより
http://ja.wikipedia.org/wiki/大地母神

 

しかし、やがて馬、牛、馬車、金属器などを持った牧畜・騎馬(遊牧)文明がはびこるようになると、女性の偶像は消え、獅子、鷲、角を持った牡牛など獰猛な動物が力の象徴として使われるようになる。


メソポタミア:JICA で活躍していらっしゃる方の写真集より

デイリ エ・ゾール博物館


墓の埋葬品が出るようになったのもそのころで、ピラミッドや古墳に見られるように、社会の権力構造を如実に反映した個人の富と権力を誇示する墓と埋葬品が世界中で発掘されている。現在でも社会の権力構造はそのころと大して変わっていないように見えるのに、埋葬が質素になった理由についての考察は聞いたことがないが、後世に名を残す他の方法が出てきたからなのかもしれない。もっとも、日光東照宮などを見れば必ずしも質素になったとはいえないのかもしれない。

話がわき道にそれてしまったけど、牧畜・騎馬(遊牧)文明とは、騎馬と馬車から始まって今日に至るまでの輸送手段と武器の開発によって手に入れた機動力と破壊力で、男が力ずくで物も土地も人間も略奪強奪して富を築いてきた過去5千年の、侵略戦争に明け暮れた人類史そのものであり、アフリカで起きた女性による平和運動の成功を見ると、今ようやくその終わりが始まりかけているのではないかという感じがしてくる。リーマ・ボウイーは今でも女性による平和な社会と国家の確立のために、その可能性を最大限に引き出すために、アフリカだけでなく世界各地の女性と手を組んで働いている。ちなみに、リベリアでは卑弥呼ならぬ女性の大統領 
Ellen Johnson Sirleaf がトップに立って国を治めている。

祈りよ力となれ――リーマ・ボウイー自伝』を読んで一番印象に残ったのは、偉大な指導者はカール・ユングの言ういわゆる「大きな夢」を見るということである。指導者としての力量のある人間は、集団の存亡を賭けた決断にせまられたとき「お告げ」とか「神の声」を聞く、あるいはそれを識別する能力があるということらしい。リーマ・ボウイーはカウンセラーとして終わりの見えない内戦で破壊された人々の心とコミュニティを癒す仕事をしながら、平和への鍵は最大の被害者でありながら、たくましく生きている女性が握っていると思っていた。そして女性の平和運動ネットワークを育てるための方策を模索していた。そのときは既にリベリアは内戦で荒れ果て危険な状態だったため、自分の家族は政情の安定しているナイジェリアに疎開させていた。そんな中で「平和のために祈れ」という「神の声」を夢の中で聞き、目が覚めたときは体が震えていたと話している。

祈るだけで平和をもたらすことができると考えるなんて、なんとナイーブなと思うのが普通ではないかと思う。しかし、リーマ・ボウイーはこれを民衆の意思と団結を象徴するイベントとして運動として盛り上げていき、最後には大統領もその反対勢力も無視できない力に変えていくのである。


ビデオでは、大統領と反対派の話し合いがいっこうに進まないのに業を煮やしたリーマ・ボウイーが男たちに活を入れるシーンの肝っ玉母さんぶりが圧巻である。