2014/01/20

セックス・ストライキと天岩戸神話

Pray the Devil Back To Hell
Pray the Devil Back to Hell (ドキュメンタリー・ビデオ) はアフリカ西海岸のリベリアの内戦が女性の平和運動によって終結したという前代未聞の出来事を紹介したドキュメンタリーで、2009年に Bill Moyers Journal で関係者のインタビューと同時に放送されたのを見た。その中でセックス・ストライキが平和運動の作戦の一つとして提案されたと紹介されていた。そのアイデアには笑ってしまったが、詳しい説明はなかったので、それが効果があったのかどうか気になっていた(インタビューに来るレポーターが必ず最初に聞くのがこのセックス・ストライキのことだそうだ)。

調べてみると、この奇抜に聞こえたアイデアには、古今東西に長い歴史と伝統があるということがわかった。ウィキペディアによると、古代ギリシャにそのものずばり、セックス・ストライキで戦争ばかりしていた男たちに戦争をやめさせたという筋書きの「女の平和」という喜劇があった。さらに、1953年にはそれが映画化されている。英語のウィキペディアでSex Strikeを検索したら、アフリカのナイジェリアあたりの古い伝統の中にもそのような例があるという。ということは、リベリアの平和運動のリーダーたちの中にもこの伝統的なセックス・ストライキの知識を持っていた人がいたのかもしれない。あるいは、女ならいざとなったら誰でも考えることなのかもしれない。何せ、その伝統は霊長類つまり猿にまでさかのぼることができるというのだから(Chris Knight 1991)。

それはともかく、この平和運動を立ち上げ先導したリーマ・ボウイーという女性は2011年にノーベル平和賞を受賞し、も出している。日本語訳は『祈りよ力となれ――リーマ・ボウイー自伝』となっている。以前から読んでみようと思っていたのをようやく英語のオーディオブックで聞いた。

ちなみに、このオーディオブックというのは大変ありがたい。一日中仕事で字を読んでいるので、目が疲れて本を読むのが億劫になる。特に英語の本は敬遠しがちになってしまう。オーディオブックなら目を閉じて耳を傾けるだけでいい(気がついたら眠っていたなんてこともしょっちゅうなんだけど。。。)

さて、ギリシャ喜劇の「女の平和」では女たちはアクロポリスを占拠して立てこもり、そこで管理されていた軍資金も押さえる。女たちの中には、いろいろ言い訳を作って男と会いに行く者も出てくるが、リーダーのリューシストラテーはみんなを説得して団結を固め、男たちに対しては、思わせぶりに誘惑しておいて、突き放すという作戦。男たちは躍起になってストライキ破りを試みる。最初は居丈高に出て、力ずくでバリケードを破ろうとするが、最後にはセックスレス生活に耐え切れなくなって女たちの要求を飲むという話。

それに比べて、リベリアの女たちの状況はというと、銃や刃物で脅して強姦してまわる、兵士とは名ばかりのならず者が幅を利かせている社会である。そんな雰囲気の中でセックス・ストライキなどを宣言しても強姦されるのが落ちである。どこかに立てこもることができれば、何とかなるかもしれないけど、武器を持った相手に対抗できるとは考えられない。案の定、ストライキ宣言して、殴られて、強姦されたなんて人もいたらしい。もっとも、ストライキの対象は村から村、町から町と荒らしまわっているならず者ではなく、一般の被害者側の男たちで、女が強姦され国土が荒廃するのを為すすべもなく看過している腰抜けの男たちに活を入れるという意味もあった。田舎では成功した事例もあったらしい。田舎にはまだ伝統的な男性立ち入り禁止の集会所があったりして、そこで女たちが団結し、平和の神の顔を見るまでは禁欲すると宣言して、男たちに協力させたらしい。「~断ち」の一種、願掛けと見ることもできる。

考えてみると、男の暴力に手を焼き、激怒した女がストライキ(セックスだけでなく家事もやらない)を打ったという話は古くからあり、日本では天岩戸神話という形で残っている。これを日食神話や冬至神話の一つとみなす解釈もあるようだけど、そのような解釈は男の暴力に手を焼いたという部分を無視している。さらに卑弥呼という女帝については、男たちが国を治めることができなかったので女帝を立てたと説明されている。つまり、男たちに任せておくと、暴力沙汰で暴力団の縄張り争いのようなことばかりが行われ、国が荒れ、女は強姦されるという古今東西の人類史上の現象がその背景にあることの方が重要であるということに気が付かないのは、男の視点から歴史を見ているからではないのか。さらにいえば、最近遷宮で話題になった伊勢神宮が天照大御神という女神を祭る天皇家の神社であることが日本の歴史伝統における女性の地位を示す1つの証拠であることを誰も指摘しようとしないのは、奇妙といえば奇妙ではあるが、その伝統が天皇家において引き継がれていることの意義は大きいと思う。

伊藤俊幸さんの膨大な「日本人の源流を探して」という研究の「日本神話の成立 -ギリシャ神話との繋がり」に天岩戸とそれにまつわるさまざまな神話のモチーフが遊牧文明の洗礼をうけた世界各地に見られることが指摘されている。しかも、天岩戸神話でもそれに似たギリシャ神話のポセイドンの話でも、馬(遊牧文明では馬=武力)と強姦がストライキの直接の原因となった出来事に結びついてる。そして、ストライキ中に発生するさまざまの災いは、女の力を再認識して、女を激怒させるようなことをしてはならないという戒めとも取ることができる。

歴史をさかのぼると、旧石器時代から新石器時代にかけて、ほぼ3万年前から氷河が後退して、狩猟採集文化から初期の農耕文化に移行した時期、5、6千年前までの時期にかけて(日本では縄文時代)、豊満な女性をかたどった偶像が世界各地で発掘されている。Google で「ビーナス像+地母神」を入力して画像を検索すると実にたくさん出てくる。英語では Earth-Mother-Earth に比較的良くまとまった写真と解説がある。




   
ヴィーレンドルフのビーナス像
(約3万年前ヨーロッパ)
ウィキメディア・コモンズより
http://ja.wikipedia.org/wiki/大地母神

 

しかし、やがて馬、牛、馬車、金属器などを持った牧畜・騎馬(遊牧)文明がはびこるようになると、女性の偶像は消え、獅子、鷲、角を持った牡牛など獰猛な動物が力の象徴として使われるようになる。


メソポタミア:JICA で活躍していらっしゃる方の写真集より

デイリ エ・ゾール博物館


墓の埋葬品が出るようになったのもそのころで、ピラミッドや古墳に見られるように、社会の権力構造を如実に反映した個人の富と権力を誇示する墓と埋葬品が世界中で発掘されている。現在でも社会の権力構造はそのころと大して変わっていないように見えるのに、埋葬が質素になった理由についての考察は聞いたことがないが、後世に名を残す他の方法が出てきたからなのかもしれない。もっとも、日光東照宮などを見れば必ずしも質素になったとはいえないのかもしれない。

話がわき道にそれてしまったけど、牧畜・騎馬(遊牧)文明とは、騎馬と馬車から始まって今日に至るまでの輸送手段と武器の開発によって手に入れた機動力と破壊力で、男が力ずくで物も土地も人間も略奪強奪して富を築いてきた過去5千年の、侵略戦争に明け暮れた人類史そのものであり、アフリカで起きた女性による平和運動の成功を見ると、今ようやくその終わりが始まりかけているのではないかという感じがしてくる。リーマ・ボウイーは今でも女性による平和な社会と国家の確立のために、その可能性を最大限に引き出すために、アフリカだけでなく世界各地の女性と手を組んで働いている。ちなみに、リベリアでは卑弥呼ならぬ女性の大統領 
Ellen Johnson Sirleaf がトップに立って国を治めている。

祈りよ力となれ――リーマ・ボウイー自伝』を読んで一番印象に残ったのは、偉大な指導者はカール・ユングの言ういわゆる「大きな夢」を見るということである。指導者としての力量のある人間は、集団の存亡を賭けた決断にせまられたとき「お告げ」とか「神の声」を聞く、あるいはそれを識別する能力があるということらしい。リーマ・ボウイーはカウンセラーとして終わりの見えない内戦で破壊された人々の心とコミュニティを癒す仕事をしながら、平和への鍵は最大の被害者でありながら、たくましく生きている女性が握っていると思っていた。そして女性の平和運動ネットワークを育てるための方策を模索していた。そのときは既にリベリアは内戦で荒れ果て危険な状態だったため、自分の家族は政情の安定しているナイジェリアに疎開させていた。そんな中で「平和のために祈れ」という「神の声」を夢の中で聞き、目が覚めたときは体が震えていたと話している。

祈るだけで平和をもたらすことができると考えるなんて、なんとナイーブなと思うのが普通ではないかと思う。しかし、リーマ・ボウイーはこれを民衆の意思と団結を象徴するイベントとして運動として盛り上げていき、最後には大統領もその反対勢力も無視できない力に変えていくのである。


ビデオでは、大統領と反対派の話し合いがいっこうに進まないのに業を煮やしたリーマ・ボウイーが男たちに活を入れるシーンの肝っ玉母さんぶりが圧巻である。
   

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