2015/07/28

マッカーサーのチャイナ史観

ダグラス・マッカーサーの退任演説を聞いてみた。これは1951年4月19日にアメリカの議会で行われたもので、あの有名な "old soldiers never die; they just fade away." 老兵は死なず、ただ消え去るのみ)で締めくくった演説である。その中で「えっ」と思って、テキスト・バージョンを見て確認した箇所があった。中国に関する次の箇所である。


"China, up to 50 years ago... The war-making tendency was almost non-existent, as they still followed the tenets of the Confucian ideal of pacifist culture." (チャイナは50年前までは。。。まだ儒教が理想とする無抵抗主義の教えに従っていたので、戦争しようという傾向はほとんど存在しなかった。)
つまり、1900年ごろまで、清朝がアヘン戦争に負けて以来、欧米列強の要求に抵抗せずに応じて領土を割譲してきたのを見て、無抵抗主義だと思ったのかも知れない。だから清朝が1894~1895年の日清戦争に負け、1912年に権力を失った後、動乱のチャイナで抗日運動が激しくなり、日本とのいざこざが起きるようになったとき、欧米の目には、日本がよっぽど悪いことをしているに違いないと見えたのかもしれない。属国でしかないと思っていた日本に負けたことが許せないなどという感情がチャイナ側にあったことなど思いもよらないことに違いない。

これ一つだけとっても、マッカーサーは明らかにチャイナの歴史については限られた知識しかもっていなかったと言える。紛争の深い歴史的背景を分析することは、軍のリーダーの仕事ではないのであろうが、マッカーサーは本当にチャイナは日本という残忍な侵略者にいじめられた無抵抗な被害者だったと信じていたのであろうか。"GI Roundtable: What Shall Be Done about Japan after Victory?"(米兵円卓会議:勝利の後、日本をどうすべきか) という日本占領に向けて米軍を教育するために書かれたパンフレットには「Rape of China」とか「チャイナが日本によって奴隷化される」という表現が使用されていて、日本軍がチャイナの老若男女に極悪非道の限りを尽くしていると説明されている。アメリカ政府は、本当にそれを信じていたのだろうか。中国におけるアメリカの情報収集能力はそんな程度だったとはとても信じられないが、軍や一般米国民には中国のプロパガンダに沿ってそう宣伝し、日本軍と政府の指導者を戦犯として処刑するためのセットアップとして使ったのであろう。


マッカーサーはさらに続けて、"Through these past 50 years the Chinese people have thus become militarized...has become aggressively imperialistic, with a lust for expansion and increased power normal to this type of imperialism." (過去50年間で、チャイナの人々は軍国化し、、、侵略的帝国主義的になった。この種の帝国主義には普通の拡張と権力増強への欲望をあらわにしている。)これが、朝鮮戦争でチャイナに痛い目にあわされたマッカーサーの観察であり結論だったのである。その後、チャイナ共産党の「普通の拡張と権力増強への欲望」がチベット、内モンゴル、ウイグルで、さらには文化大革命や天安門事件でどのように発揮されたかは記憶に新しい。日本人なら、それが50年間で一夜にして出現した傾向だなどと思う人はいないだろう。チャイナは太古の昔から、遊牧騎馬民族が作った一連の大帝国に次々に乗っ取られ、そのたびに熾烈な戦争に巻き込まれてきた、いわば、帝国ずれした民族であることは、日本人ならだれでも一応の知識を持っている。マッカーサーはモンゴル帝国も大清帝国も知らなかったのだろうか。


チャイナをのっとた支配者にとって、近隣のアジア諸国は、日本も含めて、属国または潜在的な属国に過ぎなかったし、今でもそう思っているふしがある。白人の植民地主義者と戦ったことのないアジアの国はチャイナだけだというのも、その辺の歴史が関係していると思われる。つまり、チャイナはアジアで唯一の植民地主義帝国だったから、白人の植民地主義者と組んで生意気な日本をつぶすことが将来チャイナにとって利益になると理解していたのではないか。戦後70年経った今振り返ってみると、チャイナは自国を欧米の半植民地と見て白人の植民地主義者と戦うのではなく、日本にアジアの盟主としての地位を奪われないために、つまり自国の植民地主義帝国としての地位を復活させるために白人の植民地主義者と手を組み、日本つぶしに利用したということになる。


一方、日本は1500年余の天皇統治の歴史をいくらさかのぼっても植民地を持った形跡がない。唯一の例外は、第一次世界大戦の戦勝国として統治権を委託された南洋諸島(敗戦国のドイツの植民地だった)だけである。しかも、日本は植民地支配を嫌って、正確には南洋諸島を信託統治という形で引き受けたのである。台湾も朝鮮も日本になったのであり、植民地ではなかった。アラスカやテキサスがアメリカになったのと同じである。満州国は日本の保護の下に清王朝が再興した独立国だった。1952年に独立した日本が未だにアメリカ軍に保護されているのと少しも違いはない。

マッカーサーは退任演説の二週間後に上院軍事外交共同委員会で朝鮮戦争関連の証言を行っている。そこでは、『日本をどうすべきか』パンフレットに書かれている日本=侵略者という見方を踏襲しないで、あの戦争は日本にとって安全保障のためだったと次のように証言している。

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.
(蚕を除けば、日本原産のものは実質的に何もありません。彼らにはウールがない、綿がない。石油製品がない。スズがない。ゴムがない。彼らにはアジア地域に存在するその他多くの物がないのです。彼らは、それらの供給が断たれた場合、日本では1千万から1千2百万の人々が失業するだろうと恐れていました。したがって、戦争に突入したのは、主に安全保障(security)上の必要に迫られてのことでした。)
朝鮮戦争でチャイナとソ連に痛い目に合わされて、見方が少し変わったのかもしれないが、アメリカにはチャイナの歴史について、もっと掘り下げた理解をしてもらわないと、日本に対する誤った見方も改まらないのではないか。これは日本にとって厄介なことだけど、欧米諸国の日本に対する政策や態度は、彼らがチャイナの日本に対する態度とその真意をどう理解するかに左右される。

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