2016/10/27

フーバー大統領の Freedom Betrayed (裏切られた自由)を読んで

この本(アメリカを戦争に引き込んだフランクリン・ルーズベルト大統領を糾弾したフーバー大統領の回顧録)が日本で話題になっているようだ。日本語の翻訳本がいつ出るかは未定だという話だが、この本を紹介する本が既に出ている。

この本はフーバー大統領が亡くなる1年前の1963年には、いくつかのファクト・チェックを除いて出版できる状態になっていた。しかし、出版されたのは半世紀後の2011年になってからだった。実は、フーバー大統領は日米戦争の火蓋が切られた真珠湾攻撃の日、1941年12月8日(アメリカでは7日)にこの本を書き始めている。しかも、亡くなる直前まで、何度も何度も書き直している。

フーバー大統領は日米開戦までは、あらゆる機会に、1940年の大統領予備選に出馬したときにも、アメリカはヨーロッパの戦争(ナチスドイツの戦争)に手を出すべきではないと主張し、ルーズベルトが大統領選挙のときに公約したモンロー主義/不参戦を守らせようと努力していた。その努力が無駄だったことを知った日米開戦のその日に、フーバー大統領はルーズベルト大統領の裏切りを糾弾する本を書くことを決断し、日米戦争に至るまでの経緯がわかるすべての記録や記憶を保存するように元国務省の副長官だった友人に頼んだのである。

1000ページ近いこの本の後ろには、初期に書かれた文が収録されていて、主要な論点が手短にまとめられている。しかし、フーバー大統領が「大著」と呼んだこの回顧録はただの回顧録ではない。フーバー大統領は秘書やリサーチ・アシスタントを何人も雇って、入手可能なあらゆる資料から、ルーズベルト政権内部の人間やイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンらの言動を調べ上げ、彼らの言葉を引用することによって、歴史の真実を浮かび上がらせるという、きわめて客観的、学術的なアプローチでこの本を書く努力を惜しまなかった(関連資料はフーバー・インスティチューションに保管されている)。フーバー大統領はルーズベルト政権の「失政」を明らかにすることの重要さにそれだけ強い信念と情熱を持っていたということだ。しかし、フーバー大統領の死後にこの本の出版権を託された息子たちは、歴史修正主義と呼ばれるであろうこの本を出版しなかった。中で批判されている人々が生きている間は出版がはばかられたということもあったようだ。その辺のいきさつは、編集者としてこの本をまとめ、出版した George H. Nash が長い前書きで詳しく説明している。

とりあえず、日本に関連した章を読んでみた。日米開戦前夜のルーズベルト政権の動向を読むと、11月25日にチャイナから、日本と外交交渉で決着をつけようとするなんてもってのほかという苦情があったのに対して、アメリカは、アメリカ側の被害が大きくならない方法で日本に最初に手を出させるにはどうするかが問題だとか、日本が絶対に受け入れないことが確かな条件を解答したから心配するなといったことをチャイナに教えていたことがわかる。チャイナ/共産党がアメリカにもイギリスにも、日本を武力で潰してくれなければ、米英の扱いを考えなおすというような圧力をかけていたということも、はっきりわかる。つまり、日米戦争はチャイナ/共産党が米英を手なずけて仕掛けたという結論になる。英国のチャーチルにせっつかれて、英国を支援するために日本を使って裏口からヨーロッパ戦線に参戦したようにも見えるが、1941年の6月にドイツ軍はソ連に攻め込んでいたので、つまり、在米資産凍結令が出て、石油の対日全面禁輸が決定され、日本に対する経済封鎖が最終段階に入ったころには、イギリスに対するドイツの脅威は山場を過ぎていたのだ。だから、フーバー大統領はその時点でソ連に協力を要請し、ソ連を支援してドイツを潰せば、共産主義の勝利を保証する事になると警告したのだ。ドイツとソ連を戦わせて、2つの全体主義国家を同時に弱体化させてから、対処するのが効果的だというのがフーバー大統領の主張だった。

ちなみに、フーバー大統領がルーズベルト大統領のことを「madman」(狂人)と呼んだのは、1946年に東京でダグラス・マッカーサーに会ったときだった。マッカーサーはそれだけでなく、経済封鎖が挑発であったという見方にも共感を示したと書かれている。


2016/08/30

原爆とアメリカ人の罪悪感

アメリカ人は原爆を落としたことをどう思っているのかという話になると、日本人が聞かされる話は、アメリカ人は原爆投下を正当化していて、悪かったなどとは微塵も思っていないらいしいということである。

アメリカでも「原爆は日本の降伏を早め、日本本土での決戦を避けることができたから、広島、長崎の犠牲者数をはるかに越えるアメリカ人と日本人の命を救ったのだ。」と言っている識者がドキュメンタリーやニュース番組に出てくるのが標準である。 しかし、ことはそう単純ではない。原爆使用の決定はアメリカ史上最も激しく議論されてきたことだという人もいるくらいだ。 
Alex Wellerstein
原爆のことなら何でも知っている、少なくとも膨大なデータベースを維持しているアレックス・ウィラーステイン(Alex Wellerstein) という科学史家は、今は歴史が忘れられ「一般には、共和党、特に軍関係者は原爆が落とされたことを肯定し、リベラル派は原爆は過ちと戦争犯罪の間に位置すると見ていると思われている。(We assume that Republicans, especially those in the military, are retrospectively pro-bomb, and that liberals see the attacks as something between a mistake and a war crime.) 」と、オバマ大統領の広島訪問にちなんでNew Yorker マガジンに寄稿したブログ、What Presidents Talk About When They Talk About Hiroshima (大統領が広島について話すときに話すこと)に書いている。

原爆を正当化する説明が一般に意識されるようになったのは、1947年2月に、ヘンリー・スティムソン(戦時中の陸軍長官)の名前で The Decision to Use the Atomic Bomb (原子爆弾使用への決断) がHerper's magazine に出版されてからであった(実際には、マンハッタン・プロジェクトの指揮官、レズリー・グローブズが草案を書いた)。

当初、アメリカは科学技術大国なんだ、科学技術の力で勝ったんだ、これで怖いもの無しだと得意になって浮かれていた。軍部は放射能汚染を心配する科学者の警告もなんのその、原爆の実験にまい進していた。特に海軍は原爆に対する艦隊の耐性をテストすることに熱心だった。1946 年の7月には、海軍艦隊(捨てるつもりの軍艦約100隻)を太平洋のビキニ環礁(マーシャル諸島)に集めて、原爆に対する艦隊の有効性を試す実験を報道陣などを招いて公開で行った。長崎に落としたのと同じ規模のプルトニウム爆弾を 3 発用意していたが、2 発目で怖くなって 3 発目はやらなかった(PBSのThe Bombを参照)。

スティムソン/グローブズが広島と長崎での原爆投下を正当化する文書を一般向けに書く必要があると考えた直接の原因は、New Yorker マガジンに広島一周年記念として広島特集が組まれ、John Hersey のHiroshima によって6人の被爆者の体験が詳しく報告され、それが大ヒットしてアメリカ人に強い罪悪感を抱かせてしまったからだった。スティムソンは、原爆は日本がポツダム宣言をすぐに受諾していれば落とさなくて済んだ、責任ある地位にある軍の指導者としてあれ以外の選択はなかったと言うが、その決断に対する異議は、原爆使用決定の過程でマンハッタン・プロジェクトの内部から、戦後には軍の内部からも出ていた。

科学者たちの反対

秘密兵器の原爆を実戦で使用することに反対できたのは、当然、内部の人間、特にその威力を理論的に把握できた科学者たちである。そしてその中心となったのは、レオ・ジラードというハンガリー生まれのユダヤ系物理学者だった。ジラードは原爆の開発をアメリカに頼むほかにナチス・ドイツの原爆開発に対抗する方法はないと考えて、アインシュタインを説得し、フランクリン・ルーズベルト大統領に原爆開発を進言してもらった張本人である。実際にはドイツではロケット開発は進んでいたが原爆開発は進んでいなかった。そのことは、1944年の後半には知られていた。

ジラードは、1945年3月に、Atomic Bombs and Postwar Position of the United States In the World (原子爆弾と米国の戦後世界における立ち位置)というメモランダムを書いて日本に落とすことには賛成できないという意見をルーズベルト大統領に提出する用意をしていた。5月28日には後に国務長官になったバーンズにそれを見せている。論点は、小規模とはいえ今の時点で日本に原爆を落として、それまでの武器よりはるかに強力な武器が製造可能であることを世界に知らしめれば、ロシアが核開発に乗り出して核武装競争が起きるのは必然であり、核開発を制御・禁止する国際組織を確立する前にそういうことになるのはアメリカにとって好ましくないというものだった。

ジラードは戦後、新聞記者のインタビューに答えて、アメリカが焼夷弾を使用したと知ったときから、アメリカも所詮は目的のためには手段を選ばない国でしかないとわかったと、アメリカの原爆開発に協力したことを後悔していたことを示すコメントを残している。ナチスに代わって、いまやアメリカが人道を無視した悪の帝国になった。それに自分が協力してしまったという思いである。ちなみに、ジラードは戦後、物理学から手を引いて、生物学に転向している。

タイムラインを見ると、大統領就任間もないトルーマンは、4月下旬に、原爆が4ヵ月後(7月末ごろ)に完成する予定だとの報告を受けた。マンハッタン・プロジェクトの主力チームがいたロスアラモスでは、ドイツ降伏3日後の5月11日には、Target Committee で日本の5つの都市(京都、広島、小倉、新潟、長崎)を原爆のターゲットに選び、その理由を説明している。6月1日にはInterim Committee と呼ばれた8人(スティムソン陸軍長官を含む)が、オッペンハイマーを始めとする科学者からの報告に基づき原爆を日本に落とすことを決定。ジラードのいたシカゴ大学のチームは、6月11日にFranck Report という正式なレポートを出して原爆の使用に反対。6月16日には原爆使用に反対する意見を受けて、 オッペンハイマーを含む科学者パネルが ...emphasize the opportunity of saving American lives by immediate military use (直ちに軍事利用することによってアメリカ人の命を救う機会があることを強調する) we can propose no technical demonstration likely to bring an end to the war; we see no acceptable alternative to direct military use.(戦争を終わらせることができるような技術的デモンストレーションができるとは考えられない。直接の軍事利用に代わる適切な用途は考えられない。)という意見を出している。7月2日には、降伏か国の破壊かを日本に迫る最後通牒(ポツダム宣言)の原案が書かれた。ジラードのいたシカゴ大学のチームが出したFranck Report では、無人島などで公開のデモをやった上で日本に落としてもいいか議論するのも一案だが、そういう兵器の存在を世界に宣伝するのは時期尚早、警告無しで日本に落としたら世界の信用を失い、戦後の国際的な核兵器の制限・禁止のリーダーシップも取れなくなると訴えた。

ジラードは後に、この意見に賛同する科学者の署名を集めて大統領宛に嘆願書を出した。ウラニウム製造の拠点だったテネシー州オークリッジでもシカゴチームに賛成する科学者が多かった。このレポートは極秘文書扱いにされた上に検閲の手が加えられていて、復元するのも大変だったようだ。特に倫理的な考察の段落で 「We fear its early unannounced use might cause other nations to regard us as a nascent Germany.”(それを早急に予告無しに使用したら諸外国は我々のことを新生ドイツと見なすのではないかと恐れる。)」という文が真っ黒に塗りつぶされていてた。つまり、原爆を日本に落としたら、アメリカはナチスと同じになると警告したこのレポートをマンハッタン・プロジェクトの上層部は危険視したのである。

爆弾の材料となるウラニウム235の生成に時間が掛かり、爆弾一個分ができるのは7月末ごろという予定だったから、実験する余裕もないまま広島に落とされた。つまり、広島が最初の実験だった。プルトニウムの方は原子炉で作るのでもう少し効率よく生成できたが、それでも、7月16日の実験のあと、8月までに用意できるのは1個だけだった。デモより日米戦争の終結が先だ。デモなどやってる暇はないという議論のようにも見える(あるいは、日本はソ連に仲介を頼んで降伏条件を模索しているから降伏する前に落とせ、だったという見方もある)。ちなみに、7月30日には10日に1個のペースでプルトニウム爆弾を製造できることがわかっていた。

戦後、ジラードは自分が戦犯として裁かれたらどうなるかを考察した短いストーリーを書いている。原爆使用に反対する意見書を大統領と国務長官に提出したというのがジラードの弁明であるが、それは結局大統領には届かなかったし、国務長官へのメモランダムは証拠を確認できなかったから、十分努力したとはいえないということで有罪になるというストーリーである。大統領への意見書はマンハッタン・プロジェクトを指揮していたレズリー・グローブズによって握りつぶされていた。しかも、提出の日付はプルトニウム爆弾の実験が成功した翌日だったが、タイミングが悪く、トルーマン大統領は既にポツダム会談のためにアメリカを離れていた。原爆使用の命令は、ポツダム宣言の前日に出たが、トルーマンがポツダムにいる間にグローブズによって用意され、ポツダム宣言の 1 週間後に使用開始することになっていた。ちなみに、レズリー・グローブズという男は、マンハッタン・プロジェクトを引き受ける前は、西海岸の日系アメリカ人を強制収容するための収容所の建設を指揮していた。

トルーマン大統領は、原爆使用の命令が出た7月25日の日記に、一般市民への原爆投下を避け、軍事基地に落とすようにと指示したと記入している。しかし、実際の原爆使用命令にはそのような制限について何も書かれていない。グローブズが用意したその原爆使用命令には、天候が許せば8月3日以降(ポツダム宣言から1週間後)に、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに落せと書いてあるだけ。トルーマン大統領はそれが都市ではなく軍事基地のリストだと勘違いした、または勘違いさせられた可能性がある。トルーマン大統領は原爆投下後にラジオで流した声明で広島のことを軍事基地と呼んでいる。スティムソンは広島には陸軍の重要な施設が、長崎には海軍の重要な施設があったと言って標的の選択を正当化している(スティムソンは京都をリストから削除させた)。また、この原爆使用命令には、後続の原爆投下も爆弾が出来次第行うと書いてあった。

3発目は長崎からほぼ1週間後、8月17日には落とせる(8月中は、10日に1個製造できる)というメモが7月30日付けで書かれていた。しかし、トルーマン大統領は、8月10日に原爆使用命令を取り消した。その日の閣僚会議での話をHenry Wallace 商務長官が日記に書き残している。「Truman said he had given orders to stop atomic bombing. He said the thought of wiping out another 100,000 people was too horrible. He didn’t like the idea of killing, as he said, “all those kids.” (トルーマンは原爆の使用を止めるように命令したと言った。この上また10万人消し去るというのは考えるだけでも恐ろしすぎる。「あの連中を皆」殺すというアイデアは好きではないと話した。)」
8月10日といえば、日本が降伏条件における天皇制の扱いを中立国を介して確認するための通信を行った日であり、アメリカはそれを傍受していた。しかし、トルーマン大統領が原爆中止命令を出すにあたり、それを聞いていた/考慮したという話はないようだ。

スティムソンの説明によると原爆は日本がポツダム宣言をすぐに受諾していれば落とさなくて済んだということになっているが、それにも疑問がもたれている。ポツダム宣言の元になった7月2日付けのメモランダムでは、天皇制の維持を保証すれば降伏する可能性が高いと書かれていたにも関わらず、ポツダム宣言では天皇について言及しなかったとスティムソンは書いている。しかし、その理由については説明がない。原爆を落とすことができるようになるまでの時間稼ぎに、日本が受け入れられない形でポツダム宣言を出したのではないかという疑念が当然浮かんでくる。Alex Wellerstein の調べによると、チャーチルとスティムソンは天皇制の維持を保証するよう主張したが、トルーマン大統領とバーンズ国務長官はそれを蹴った。真珠湾の報復を誓い、反日プロパガンダでさんざん「ヒロヒト」を悪者呼ばわりしておいて、天皇の責任を問わないというのでは余りにも手ぬるいと見られることを恐れたためといわれている。ウィキペディアによると、1945年6月のギャラップ調査では、33%が昭和天皇の処刑を求め、17%が裁判を、11%が生涯における拘禁、9%が国外追放するべきであると回答するなど、天皇に対するアメリカ世論は極めて厳しかった。トルーマン大統領はポツダム宣言の受け入れを「無条件降伏」と呼び続けた。

ポツダム宣言には、日本の政治形態は日本国民が決めると書いてあったから、天皇制は日本国民が決めることだと読めたはずであるが、アメリカは天皇制の維持について確認を求めてきた日本政府に対して、天皇の権威を占領軍の最高司令官=マッカーサーの権威の下に置くという間接的な答えを日本に送ったとスティムソンは書いている。

沖縄戦終結の直後、6月25日に出版された米兵を占領に向けて教育するためのパンフレット、"GI Roundtable: What Shall Be Done about Japan after Victory?"(米兵円卓会議:勝利の後、日本をどうすべきか)には、天皇は占領下での日本の統治に役立つという考えがあったことが書かれている。マッカーサーも天皇がいなければ占領下の日本の統治はもっと困難だったろうという意味のことを書いている。

原爆のターゲットが議論されたことが正式に記録されたのは、1943年5月の軍上層部の会議だった。 そこでは、日本の軍艦が結集しているトラック島の港がいいという話しになっていたが、実際に原爆が使えるようになったときには、トラック島は軍事基地として無力化していた。ターゲットが正式に議論され、日本の5つの都市が選択されたのは、ドイツ降伏3日後のTarget Committee においてであった。
当然、原爆をドイツに落とすことも検討されたのかという疑問が沸いてくるが、これについても Alex Wellerstein が調べている。1943年8月の時点では、ドイツに先に原爆を落とされる可能性があることがルーズベルト大統領に報告されているが、1944年の後半にはドイツが原爆を持つ可能性は極めて低いと認識されていた。マンハッタン・プロジェクトを指揮していたレズリー・グローブズは晩年、当時を回想して、1944年の12月末に、ドイツに原爆投下することは可能かというルーズベルト大統領の質問に対して、さまざまの理由でそれは困難であると説明したと述べている。その理由の一つは、ヨーロッパ戦線にはB-29を投入していなかったので、原爆の大きさと重さから、ドイツに落とすことは物理的、戦術的に困難だったこと。もう一つの理由は、B-29が撃ち落とされる可能性、原爆が不発に終わる可能性、その結果、技術が盗まれる可能性は日本に対してはあまり考えなかったがドイツに対しては考慮されたことが述べられている。

アイゼンハワーも戦後に原爆に反対したことを表明した一人だった。1948 年に出た Crusade in Europe というメモワールによると、アイゼンハワーはスティムソンに原爆の使用に反対する意見を次のように述べたということになっている。

「この新兵器が説明されている通りの恐ろしい破壊力を持っているものなら、アメリカがそのようなものを率先して戦争に導入するのを見たくない。そのようなものをいかなる敵に対しても使用する必要がなければいいがという気持ちを表明した。(I expressed the hope that we would never have to use such a thing against any enemy because I disliked seeing the United States take the lead in introducing into war something as horrible and destructive as this new weapon was described to be.)」
アイゼンハワーとスティムソンの間でこのような会話が実際にあったかどうかについては疑問がもたれているが、1948年の時点で、倫理的な理由で原爆の使用に批判的だったことを表明したことは否定できない。 Alex Wellerstein の説明によると、当時のアメリカ軍の上層部には批判的な意見を表明していた人が何人もいる。たとえば、1946年のThe U.S. Strategic Bombing Survey (米国戦略爆撃調査)では「日本は原爆を落とされなくても、ソ連が参戦しなくても、本土侵攻の計画がなくても降伏していただろう。(Japan would have surrendered even if the atomic bombs had not been dropped, even if Russia had not entered the war, and even if no invasion had been planned or contemplated.)」という結論が出ていた。 アメリカ軍の統合参謀本部議長だった William Leahy 提督はメモワールの中で原爆の使用を「野蛮(barbarous)」と呼び、暗黒時代やジンギスカンの戦いと大差ない、キリスト教に反する、原爆は爆弾ではない、毒ガスと同等に扱われるべきだ、など非常に強い言葉で原爆の使用を非難した。軍事的には、「日本との戦いで実質的な助けにはならなかった。(no material assistance in our war against Japan,)」日本は「既に敗北し、降伏するところまで来ていた(already defeated and ready to surrender)」のだからと書いている。

ところが、今日ではそのような見解を政治家が表明することは考えられなくなっていると Alex Wellerstein は指摘する。あの原爆投下を批判するようなことを言えば歴史修正主義者のレッテルを貼られるのだという。このような傾向が定着したのは1995年、原爆を投下した飛行機、エノラ・ゲイをスミソニアン博物館に展示することに決めたとき起きた争い、関連文書の展示をめぐる争いの結果だという。原爆使用の正当性に疑問を挟むような資料、アイゼンハワー大統領の反原爆コメントも被害の凄まじさ野蛮さの説明も退役軍人グループが大反対して展示から取り除かせたのだった。

一般のアメリカ人にとって、原爆は恐怖の対象であると同時に罪悪感の元でもある。1949年にソ連が原爆開発に成功したと知ったとき、アメリカ人はあの広島・長崎で起きたことが自分たちにも起きるかもしれないと考え、震え上がったのである。そのようなアメリカ人の気持ちを静めるために、1950年代から1960年代の始めにかけて原爆避難訓練が盛んに行われた。キューバ危機はそれが一挙に現実味を帯びて迫ってきた事件であったが、避難訓練や防空壕の有効性については懐疑的な雰囲気が広がっていた。さらに強力な水素爆弾ができ、原爆の保有数が千単位になり、ベトナム戦争が本格化したころには、原爆避難訓練も防空壕の建設も下火になってしまった。

子供のときに学校で避難訓練が頻繁に行われた世代のアメリカ人は、原爆に対する恐怖心を長い間、引きずってきた。そして、それは広島・長崎に対する罪悪感とセットになっているのである。だから、アメリカ人の中には、広島出身とか被爆者の遺族だとかという人に会うと、どぎまぎしてしまうという人も少なくないのである。しかし、そういう人でも、罪悪感を素直に認めない場合が多い。悪いと思えば思うほど、むきになって正当化しようとするのは、人間の心理として理解できるが、彼らは特にその傾向が強いのではないかと思われる。

2016/03/21

文明開化とキリスト教



明治から昭和初期にかけて指導的な役割を果たした人の中に内村鑑三や新渡戸稲造のようにキリスト教徒になった人々がいた理由が何だったのか気になっていた。彼らが師事したお雇い外国人の感化によるものであったことは自明であるが、さらにその奥の理由が気になっていた。実は、筆者も中学高校時代にメノナイト教会に来ていたベトナム兵役逃れのアメリカの青年が教える英語教室に通っていた。英語の新約聖書を読むことと簡単な英会話のレッスンからなっていたが、数年通っていた。その教会の牧師に一度、キリスト教に興味がないかと聞かれたことも覚えている。そのときはっきり「ノー」と言ったということ以外は記憶があいまいだが、宗教には興味がないというようなことも言ったかもしれない。今振り返ると、うちは仏教と神道で間に合っていると感じていたようにも思うが、新約聖書のキリストに関する御伽噺を読んでキリスト教徒になる人がいると期待するのは、古事記や日本書紀の物語りを読んで神道に改宗する人がいるかもしれないと期待するようなものである。だから、なぜ内村鑑三や新渡戸稲造がキリスト教徒になったのか、その理由が気になっていた。

開港期日本におけるキリスト教の宣教師活動の状況』(クネヒト・ペトロ著、杉本良男編『キリスト教と文明化の人類学的研究』国立民族学博物館調査報告6211‒312006))は、アメリカから来たプロテスタントの宣教師たちについて、グリフィスという宣教師を例にとって説明している。「グリフィスは,経済,技術,医療,政治などを含む西洋文明の進歩はその文明の霊性的価値観,つまりキリスト教の神信仰と切っても切れない関係を持っている複合体であると考えた。そして、この優れた文明を、アメリカ程は恵まれていない世界の国々へ持って行き広めるのは、アメリカの使命であり、アメリカ人宣教師の伝道活動の重要な意味であると信じていた。」のだそうである。つまり、いわゆるお雇外国人(ほとんどは教育に従事した)として日本に来たアメリカ人のほとんどは宣教師もそうでない者も西洋文明(キリスト教と不可分と考えられていた)で世界を染めることに情熱を持っていたから、彼らは教師としての影響力を使って、西洋文明や科学技術を学ぶことに熱心だった日本の若者たちに、西洋文明の真髄を習得するにはキリスト教の信者になる必要があると説得した結果、多くの若者がプロテスタント系のキリスト教徒になるという現象が起きたということのようだ。札幌農学校(後の北大)で内村鑑三や新渡戸稲造らが感化を受けたクラーク博士も例外ではなかった。そのような影響力を持つお雇外国人がいた地域ごとに、横浜バンド,札幌バンド、熊本バンドなどと呼ばれ、教会内で活発に活躍していた青年たちのグループの拠点があった。

上記のクネヒト・ペトロによると、お雇外国人によるこのようなキリスト教の宣教活動を日本政府は歓迎したわけでも黙認したわけでもなかったが(なぜ、第三期生に「信ずる者」は出なかったのか?参照)、英語と西洋文化を習得し、彼らと対等に渡り合えるようになることを目指していたエリート層に対して一定の影響力があったことは否めない。ハル松方ライシャワーのSamurai and Silk を読むとそのことが良くわかる。アメリカからのお雇外国人と日本のエリート層のこのような関係はその後の日米関係をも暗示している。

ヨーロッパから来たお雇い外国人に比べて、日本に来たアメリカ人のほとんどは日本文化や伝統に対する尊敬どころか、好奇心さえ持たなかった。お雇アメリカ人にとって日本は宣教師や教育者としての人生を充足させることのできるマーケットであるという認識から出ることはなかったと見ていい。京都大学で神学を教え、「黄禍」に対抗して「極東における白禍」(白人がもたらす禍:The White Peril In the Far East)を1918年に書いた日本びいきのシドニー・グーリック(Sydny Gulick)でさえ、日本文化はキリスト教に比べて倫理的に劣ると考えていたとしか思えない議論を展開している。そのような蔑視は戦後の占領政策を策定したアメリカ人にも引き継がれている(マッカーサーも日本のキリスト教化にこだわっていたことが知られている)。明治期にはそれを受けて立った日本のエリートや知識人たちには、和魂洋才という考えはあったが、それで欧米人を説得できるわけもなかった欧米人と同じ土俵に立たせてもらうために、キリスト教という彼らの価値観を取り入れて見せることを選んだのが内村鑑三や新渡戸稲造らだったのだと思う

上記のシドニー・グーリックは、開国当時に高かったキリスト教に対する興味が数十年ですっかり下火になってしまったことについて、多くの日本人が欧米に出かけていって現地でキリスト教が既にその力を失っていたことやキリスト教社会の腐敗を知り、キリスト教に対して批判的な評価を広めたせいだが、文化水準の高い日本人は徐々にキリスト教の良さを理解し、取り入れるようになるだろうと考えていたようだ。

ネット検索をしてみると、内村鑑三や新渡戸稲造にとってキリスト教とは何だったのかという問いに答えようとした人が少なくないことがわかる。その一つ『内村鑑三の「武士道に接木されたキリスト教」に関する間文化的哲学における一考察』(深谷潤、2014年)を読んでみた。そこから浮かび上がってくる答えは、武家出身の彼らが、精神的な支柱としていた武士道と、アメリカから来た「先生」たちが「文明人」の精神的な支柱として提示したキリスト教との折り合いをどうつけるかの模索であったということである。彼らが、武士道普遍化することによってではなく、キリスト教徒になることによって両者の折り合いをつけようとしたのは、西洋文明の圧倒的な力に屈した/魅せられたからであり、それが手っ取り早い方法だったからであろう。当時の欧米の物質的な富の蓄積と科学技術を見れば、日本の後進性は明らかであり、文明社会の一員として受け入れてもらうには、少なくとも精神面で彼らと価値を共有していることを示す必要があると感じられたのであろう。1919年に国際連盟で人種差別撤廃条項を採択させようとして奔走した新渡戸稲造が1900年(改訂版1906年)にわざわざ英語で『武士道』を書いて出版し、排日に傾いていったアメリカで日本理解へ向けた講演の旅を繰り返した理由もこれで納得できる。

ちなみに、『武士道』は武士道の教えをキリスト教や古今東西の賢人の類似の教えを引き合いに出して説明するという形で書かれている。この本はかなり高尚な英語で書かれていて(アメリカ人でクエーカー教徒だった新渡戸夫人とその友人が手伝った)一般の人は辞書なしでは読めない本になってしまったことは残念であるが、セオドー・ルーズベルト大統領の目に泊まり、大統領は周りの友人知人にも本を送って読ませたと言われている。セオドー・ルーズベルト大統領は日本の武道に関心を持ち、軍隊の教練に柔道を取り入れたことでも知られている。しかも、日露戦争の翌年、1906年には日本を仮想敵国にしてオレンジ計画なるものを開始していたから、『武士道』に描かれていた日本の武人の鍛錬と覚悟を知って、これはヤバイと思ったのかもしれない。

ウィキペディアによると内村鑑三新渡戸稲造もアメリカでキリスト教に失望するという経験をしているが、キリスト教を捨てることはしていない。内村鑑三は「日本の武士道に基づく新たなキリスト教」を目指し、新渡戸稲造はクエーカーという教派に改宗している(クエーカーは早くから奴隷解放運動を行ってきたことで有名である)。新渡戸稲造は1933年に、内村鑑三は1930年に亡くなっているが、敗戦まで生きて、対日経済封鎖、日米戦争、日本空爆、原爆投下、日本占領政策、軍事裁判とう名のリンチという日本征服に向けた一連のアメリカの政策を見たら、キリスト教文明にさらに失望したに違いない。
 
黒船-開港-キリスト教解禁が西洋諸国による日本侵略の第波(第一波は宣教師ザビエルに始まり島原の乱と鎖国とキリスト教禁止で終わった)だったとすれば、経済封鎖戦争-占領-自虐史観による洗脳(War Guilt Information Program)は第波でできなかったこと達成を至上命令とした白人陣営が仕掛けてきた日本侵略の第波であった。最近は聞かなくなったが、戦後は長い間、日本的なものにはすべて「封建的」というレッテルが貼られて否定されてきたが、戦後のアメリカ化の中でキリスト教が無視されてきたのは、幸か不幸か、欧米化を推進した知識階級の間では宗教を否定する共産主義が影響力を持っていたからであろうか

幸いにも、多くの日本人は敗戦にも占領にも洗脳にもめげず、追いつけ追い越せで戦後の日本を復興した。1970年代後半には追いつけ追い越せの達成が視野に入自信を取り戻した日本人は、日本の文化や伝統見直ようにもなった。しかし、長期のデフレでまた自信を失ったのだろうか未だに自前の憲法も自衛能力もな、主要メディアや政党、政府機関教育機関など、公職追放で打撃を受けた組織が反日スパイ巣窟になってい洗脳の呪縛から抜け出たというには程遠いのを見るに付け、気がもめる



2016/03/13

トランプと共和党が軽蔑される理由

オバマ大統領は最近機嫌がいい。共和党が長年使ってきたデマゴーグ戦術を最大限に使って人気を得ているトランプに共和党主流派が戸惑っている(振りをしている)のを見て、愉快に思わないはずがない。テキサス州のオースティンで開かれた資金集めのパーティーに出席したオバマ大統領は、トランプの戦術に「ショックを受けている」共和党主流派の自己撞着をジョークのネタにして集まった民主党支持者たちをもてなした。


 このジョークの中で大統領は共和党主流派のおとぼけぶりに焦点を当てるために「shocked」という表現を使っているが、これは『カサブランカ』という有名な映画の一場面から取ったもので、ナイトクラブで違法な賭博に興じていた警察官が、警察の手入れに遭遇して、ここで賭博が行われているなんて「ショックだ」ととぼける場面に対比させている。反移民、反モスレム感情を煽り、討論では口から出任せの捏造と歪曲を常套手段とするトランプに対して、共和党の大統領予備選候補者がそんなことをするなんてショックだなどと紳士面してとぼけるのもいい加減にしてほしいというわけだ。オバマ大統領のこのトランプ現象の分析はCNNワシントンポストなどあちこちで取り上げられた。

デマの矛先がオバマ大統領に向けられていたときは、トランプを大歓迎していた共和党 なのだ。そのデマは、オバマ大統領がケニヤ生まれだというばかばかしいデマだったから、長い間大統領は無視していた。大体、アメリカ生まれでなければアメリカの大統領になる資格はないから、立候補の受付時にも、選挙結果の確定時にもその資格はチェックされているはずである。それに対し、トランプは茶会党と一緒になって、出生証明書を見せろと執拗に繰り返すのをマスコミも調子に乗って報道しまくった。これも、オバマ大統領はことあるごとにジョークのネタにしている(Obama Mocks Donald Trump)。

共和党のデマゴーグ戦術は独立宣言を起草したトーマス・ジェファソンにまでさかのぼることができるのではないかと思うが、近年では、ニクソンを勝利に導いた南部戦略(Southern Strategy)にまでさかのぼることができるのだそうだ(American Demagogue by David Remnick)。南部は南北戦争に負けて以来、リンカーン大統領が共和党だったから、反共和党になって民主党を支持してきた。ところが、民主党のケネディー大統領が南部の黒人差別を撤廃させる政策を次々に実施したため、共和党は南部を民主党から奪う絶好の機会をつかんだのである。私はカーター/レーガン以降の大統領選しか見ていないけど、共和党は、二言目にはValue(価値観)を持ち出して、白人の既得権とキリスト教の価値観にしがみついている白人、中でも低学歴の白人男性(レッドネックたち) の偏見をくすぐる作戦を取ってきたことははっきりしている。何せ、人種差別撤廃を快く思っていない連中の「価値観」におもねようと言うのだから、その時点で既に道徳的に破綻している。彼らは、白人がキリスト教と武力を使って世界中を植民地化し、世界に君臨した「栄光」の時代を心のよりどころにしている。彼らにとって、アメリカは西洋文明/キリスト教文明と白人の優越性を証明し謳歌するために作られた白人天国だったはずなのだ。それは、異質で勤勉な日本人移民を恐れて、排日運動に走った戦前のアメリカと同じ心理構造であり、ナチスの白人至上主義と同じである(ちなみに、第二次大戦中、アメリカはユダヤ人難民の受け入れを拒否し続け、日系アメリカ人を強制収容所に押し込めた)。彼らの間では最後に頼りになるのはキリスト教と武力という意識は今でも効力を失っていない。

伝統的な共和党支持者は、自由主義経済の恩恵を受けてきた資産家層である。それが貧富の格差が拡大する中で、南北戦争に負けてから経済的に取り残されてきた南部の白人を取り込んで支持層を増やそうというのだから、かなりの工夫がいる。そこで注目したのが、人種差別に加えて、彼らの篤い信仰心であり、東部のインテリ、エリートに対するねたみと反知性主義であった。聖職者が動員され、キリスト教の価値観を法律に反映させなければならないという運動が繰り広げられることになる。妊娠中絶、同性愛、進化論なんか聖書は認めていない。学校でキリスト教を教えないから風紀が乱れる。政教分離など糞食らえだ。民主主義が多数決なら多数を占めるキリスト教徒の価値観を押し付けてどこが悪いと言う論理で、共和党を支持することはキリストの教えを守ることであり、キリスト教の価値観を反映しない政治を許せばアメリカが崩壊するかのように扇動する。

富裕層の経済活動に対しては政府の介入を排除した自由主義を標榜し、レッドネックたちには、国民皆保険制度は個人の選択の自由を侵害するといってけしかけ、多数や暴力を頼みにした横暴に歯止めをかける政府の介入を自由の名の元に撤廃させることを標榜する一方、女性の健康管理の自由を否定して法律で規制することを標榜するという、アナーキズムを取り込んだでたらめなご都合主義なのである。家族を大事にする価値観を取り戻せ。フェミニズムもリベラルも皆キリスト教の価値観に反する。 黒人やヒスパニックが仕事を奪っている。オバマはイスラム教徒だ、アメリカ人じゃない。ヒットラーと同じだ。社会主義者だ。。。もう支離滅裂なのだ。オバマは悪魔だ、政府は悪だ、税金など払う必要はない。小さな政府で十分だ、政府など潰してしまえ、政府をシャットダウンしろ、とエスカレートしていく。国民皆保険制度は個人の選択の自由を侵害するという扇動に乗って、保険に加入することを拒否していたら、癌の宣告を受けて真っ青などというケースもある。

1990年代、ビル・クリントンが大統領だったとき、下院の共和党のリーダーだったニュート・ギングリッチ(Newt Gingrich)という男は、癌の治療中で病床にあった妻の前に離婚の書類を突き付けて署名させたという話で有名になった。そういう男が共和党こそは家族を大事にする価値観を守る政党だというのだからお笑いだが、共和党のデマゴーグ戦術に喜んで乗る連中には、そんなことはどうでもいいらしい。それらしいことを言って敵を特定し、溜飲のさがるような気炎を上げることで満足しているように見える。

その戦略の有効性が証明されたのは、ブッシュ大統領(シニア)の選挙戦のときだったように思う。ブッシュの選挙戦の参謀を勤めていたリー・アットウオーターが、民主党のマイケル・デュカーカスがリードしていたのを一挙に逆転するデマを拡散することに成功したのである。共和党のデマゴーグ戦略に、ゴシップとセンセーショナリズムを売り物にするマスコミは喜んで「協力」してきた。コメンテーターとかパーソナリティとかいう連中をスターに仕立て上げ、共和党の筋書きに沿って口裏を合わせ、朝から晩までテレビやラジオで気炎を上げさせる。そのような共和党の戦略に協力して一財産作ったのがラッシュ・リンボーであり、それで視聴率を上げたのがフォックス・ニューズである。茶会党というのはフォックス・ニューズがその政治的動員力を証明するために、黒人に大統領などやらせられるかと、銃を持ち歩いて気炎を上げ、鬱憤を晴らそうとしていた血の気の多いレッドネックたちを扇動して作った党である。白人が黒人を襲う犯罪が増えたのは、彼らがその鬱憤のはけ口を求めているからである。

一方、一般庶民の懐具合については、彼らを支えるための予算を削ってその分富裕層の手元に余計にお金が残るようにしているだけなのに、減税で金持ちの手元にお金が残るようにすれば、トリクルダウンで下まで潤うから心配するなと平気で嘘八百の経済論を展開する。

共和党主流派の後ろ盾がアメリカの真の支配者層(軍産共同体、ウォールストリート、1%の富裕層)であることは周知のことであり、共和党の政策を見れば、共和党を支持する低学歴低収入の白人男性も含め、99%の大衆が損をするような制度や法律ばかりを作っているが、レッドネックたちにとっては、そんな小難しいことより、自分たちが失いつつある既得権のために気炎を上げることの方が重要なのであろう。とはいえ、自分たちの問題が一向に解決されないことの苛立ちが、ついに、共和党主流派の拒否とトランプ人気となって現れたと見ることもできる。

ブッシュ(ジュニア)のときはブッシュの頭脳と言われたカール・ローブ が策士として絶大な影響力を発揮した。何せ、アルコール中毒でまともな職に就いたことのない大金持ちのどら息子をテキサス州知事に当選させ、大統領に仕立て上げたのだから、その手腕には脱帽せざるを得ないが、ブッシュ(ジュニア)の8年間は、フロリダ州での投票結果のごまかしに始まり、9.11、無謀なイラク戦争とWMDのうそ、テロに対する戦争とやらの泥沼化、拷問、ハリケーン・カテリーナ災害救助と復旧での不始末、政府の私物化、貧富の差の拡大、リーマンショック、そして大不況で閉じた。アメリカの国民は目の前で民主主義が蹂躙され、若者が意味のない戦争で殺され、税金が軍産共同体、ウォールストリート、1%の富裕層の私腹を肥やすために使われ、老朽化したインフラが放置され、経済が崩壊するのをなすすべもなく見守った。ビル・マーでなくても、まともなアメリカ人ならアメリカ人であることが恥ずかしくなるようなことが大手を振ってまかり通った悪夢のような8年間だった。民主党のオバマが大統領に就任してほっとしたのもつかの間、共和党はオバマ・バッシングと議会を完全に麻痺させる戦術を使って大衆扇動に邁進してきた。大衆はどこでも喉もとを過ぎればすぐに熱さを忘れる。

共和党が長年磨いてきたデマゴーグ手法を今回の大統領選で最大限に利用し、デマゴーグのカリカチュアを体現して人気を博しているのがトランプなのである。過激なことを言えば言うほど、下劣なことを言えば言うほど、メディアは競って取り上げてくれるから、宣伝費が浮く。トランプは笑いが止まらない。人の褌で相撲を取るというのはトランプの得意とするビジネスモデルなのである。

しかし、共和党主流派がトランプの人気に困惑している本当の理由は、トランプの言動や政策を問題視しているからでも彼が大統領になったときのことを恐れているからでもない。アメリカの真の支配者たちにとって大統領を懐柔することなどたやすいことである。民主党のビル・クリントンにはゴールドマン・サックスからロバート・ルーベン(Robert Rubin)を財務長官として送って子守をさせ、オバマ大統領には Federal Reserve Bank of New York から ティム・ガイトナー(Tim Geithner) を財務長官として送り込んで子守をさせたのだから、トランプを懐柔できるかどうかなど誰も心配していない。今回の選挙戦が彼らの思惑通りに進んでいないから困惑しているに過ぎない。トランプは彼らのコントロール下にないから、共和党が分裂する恐れがある。これまで8年間オバマ・バッシングとヒラリー・バッシングに励んで、大統領の椅子を奪回する準備を着々と進めてきたのがすべて無駄になるかもしれないことを恐れているのである(How the Republican Party created Donald Trump by )。